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Story of 風林火山(3) - 火の巻 -

Story of 風林火山(3)

【火の巻】
東京探索記/改め

新しい「矢七」の物語の開幕です...

この3月20日~23日にかけて、私は東京に居ました
最初は、今年に入ってから色々な意味で「走り続けてきた(知っている人は知っている…)」ので、骨休めをするつもりでした
しかし、世界はそう甘くはなかった!?

出発を控える1週間前、東京から1通のハガキが届きます
それは、昔お世話になっていた団体で働いていたとき、一緒に苦楽を共にした「同志」からの手紙でした
約10年ぶりの再会へのお誘いでした

やっと美幌でそれなりの成果を上げることができて来たので、また、他にも再会を誓っていた「同志」がいましたので、そこを訪ねることを含め一路、東京へ向いました

まず最初に、迎えてくれたのは富士さんでした
飛行機の窓から、よく来たね!と言ってくれました
前回来たときは、帰りに赤に染まりながら「さようなら」を言ってくれています
また次に、別の世界で私が世話になった人の子供のころ過ごしていた街へ向かう、経路の途中にある「海ほたる」が眼下にみえました
そこも思い出の地で、その人も手を振っていました
その後、最初の日、20日は今でも付き合いのある人々の街を訪ねました

21日の朝、早くお出で!と急かされながら、山の手線に乗ります
途中、朝食を食べたいと思うのですが、ファーストフードの店の前を素通りしてしまいます
日暮里の駅に着くとき「一緒に食べよう」と、お茶とパンを買い、谷中の街に向いました
そこは10年前、必ず戻って来て、会いにくるからと誓った場所です
毎年3月の初旬、多くの仲間が集まり世間話に花を咲かせる場所でした
今年もあったそうですが、年々淋しいものになっていっているそうで、だから私に途中で食べて来るなと言っていたようでした

お茶を開け、パンを食べながら、話しは続きます
私がその団体を離れた後の顛末、それは私がいた頃すでに始まっており、まだ若かった!?ので、薄々感じてはいましたが、私には全貌を分かることはできなかった
しかし、美幌の町で私を助けてくれ始めている方々も一緒に来ていたので、彼らと共にいるから解かる話しでもありました

一緒に行こうということになり、今回、私にハガキをくれた同志のいる町へ向かって歩き始めました
途中3月の集まりのとき、いつもお世話になっていた方の家を訪ね、その関係者の方(すでに何度か代替わりをしていた…)から少しお話しを訊いて、谷中を出発しました

地下鉄は怖いからダメということで、言問通りを西に向かい本郷通りを南下して途中、思い出の場所の前を通り過ぎ、春日通りを西に向かい、文京区役所の前で「疲れたから…」と言ったら、バスなら良い、自分たちは後から追いかけるとのことで、そこからバスに乗り、茗荷谷で降り、むかし通い慣れたはずの裏道に入ります
ですが、私が途中彼らの存在に気付いたため、私が来たことを知った、その別のクループ(悪意の集まり)が邪魔をしだします

ここまで来たら大丈夫と思っても、違うところのように感じ、通常10分以内に付けるのに30分ほど掛って同志のいる場所につきました
そこは、私が昔、働いていたところです
少しだけ奇麗になって、いまは色々な人がその建物や調度品などを見に来る場所になっています
同志は暖かく迎え入れてくれて「その後」の話しをしてくれました

思った通りでした

何故、遠くにいる私にハガキが届いたのか
そして、私の世代で正当な継承者は私しかいないことを、そこで理解しました
だから、このブログにその団体の話しが載っているのです
当時の私が受け取ったものを書いたもので、誰か他の人が書いたものではありません
私の「オリジナル」の原稿です

そして、ここで「新たな矢七」が発動したのです
…しかし、それはあまりにも大きなものを対象としています

22日の旅は、本郷3丁目から始まります
そこから、別の同志のいた思い出の場所にあったものを携えて、その同志の仲間のところへ向かいます
もう一度、途中、気になるところに行ってみました
少しなりを潜めていましたが、何となく、その気配を感じました
そこにあったものは、私たちの街を含め、全国にその影響を及ぼしているモノでした
(このことは今後、少しずつ整理して、書き出して行きます)

その後、本郷通りを北上し、団子坂から白山下へ、東洋大学の裏を抜け(ちょっとこの辺は迷っている…)小石川植物園の脇を抜けて、共同印刷の前を通ります
やっとこの辺で、記憶がよみがえります
そして、向かっていた先に行くために、多くのことを「見る」ことを課せられていたことに気付きます

その後、同志たちの「母」のいた場所、その後、一時勤め先が移転していた場所と、さくら通りを写真に収めながら、仲間の住む場所に着きました。
そこは茗荷谷で、ある種「振り出しに戻る」ような、感覚でした
そこで「思い」を仲間の婦人に渡し、まずは今日の任務は終わったと思っていました…

その後、同志が行きたがっていた、神楽坂に向かいます
飯田橋までは地下鉄の丸ノ内線(地上を通っている!)、総武線を乗り継ぎました
神楽坂口を出ると、南に向かいたいという話しが出てきます
ここからは「観光感覚」になっていたので、その意見に乗ることにして、南下します
少し歩くと、そこは「靖国神社」でした

私と美幌から付いて来た方々が、そこに一度行って見たかったようなのです
彼ら「見守るモノ」たちの総本山に来て見たかった、そんな思いが伝わって来ました
馬の仲間も、鳩の仲間もいるのです
そして、彼らも…

観光はまだ続きます
神楽坂の中の思い出の地を見て回りました
色々な思いが私の中に流れ込んできます
それは、なんら特別ではない、一人の「人間」としての同志のあり様、生き様でした
それから私は、彼を「いっちゃん」と呼ぶことになりました

みんな満足して、私に別れを告げるときが来ました
そして私は受け取って帰って来たのです

「友愛」というココロを…
そして「永遠(とわ)にともに」が響き渡るのです

山の巻へ、つづく≫

 


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