hot_eyes 雑記帳

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ここまでで、一言


ここまで、このブログ「水の都」を作ってきて感じることは、その名称とそれが指し示す物事とをより多くのヒトと共有することの難しさ

『閉じられた社会』であれば、その「違い」は阿吽(あうん)の呼吸で理解できる
しかし、それをもっと違った世界の人間と『共有』するためには、その言葉の指し示す物事の明確な「違い」を共有できなければ、お互いに理解できない

いま目次を作ってみて、特に「自分が知っていること」は「他のヒトも知っている」と思う『傲慢さ』を、この町のヒトの言葉使いに、私は感じている

それは傲慢という言葉で表すのはちょっとキツ過ぎるかも知れないが、言葉と物事(実体)を一致させることで、みんなで「共有する作業」を怠っている
ほかの地域のヒトを全然!?意識してないじゃん!な感じである

言葉は「普遍性」を求めるもの

翻って考えるに「自分たちだけ分かっていれば良い」では、その「言葉の表すものを共有」することは出来ず、結果として、それを理解するヒト以外を排除することになる

「観光」とは「他のヒトを意識して、そのヒトと何かを共有すること」から始めなければならない

それは土谷新町長の掲げた「話し合い」の土台を成すもの

そのためには、まずは『言葉の共有』の問題を、この町の人間は知らなければならない
言葉の通じないヒトは、その「輪・和・話」には入っては来れない

今まで私が感じていた違和感は「そこ」にある

それは無意識な行動であっても「結果」として存在しているワケで、それを意識して「街づくり」を再構築しなければ、この美幌に明日はない!
そんな感じを、いま私は持っている...

この町に観光のメダマが必要!とか考える前に「言葉使い」と「表示の仕方」の研究から始めなければならない
それは、外の世界の目線で物事を考えることでもある...

いつまでも「町民
」あるいは「それぞれのムラ!?社会」以外のヒトを「異邦人の場所」に置いていては、『住人』や『仲間』が増えることはないし、この美幌を愛するヒトを増やすことは出来ない!

まず美幌におけるカテゴリー分け(項目分け)つまり「名称と、その言葉の指し示す物事の一致」の作業から始めないと、新しい住民の存在する場所を作ることは出来ない!と私は思っている...


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