誰だって「今の自分」を認められたい
そんな自分を愛されたい
それは、何も「好き好んでそうなった」わけではないから
すべてが「身から出たサビ」ではなく、どうしようもないこともあるから
だから、まずは誰かに「ありの様の自分」を見ていて欲しい
何も評価をされず、誰とも比べられない「絶対的な存在」として『そこに自分がいる!』を感じたいから
そして、そんな自分を受け入れてくれた気持ちに、ヒトは「あい」を感じるもの
何も飾らない、虚飾されない自分が、そこに居いるし、居たいから...
だけど、みんながみんな必ずしも「そんな自分が好きじゃない」こともある
「在りたい自分」と「現実の自分」
それがあまりにもかけ離れていると、どちらかを否定したくなる
ときに立ち止まり、ときに街に自分を探しに出かけたりする
けれど、街の誘惑は「優しい顔」をして近づいてくる...
それは「相手にとって」利用する対象としての『あなた』が必要なだけの場合が多い
そこには「本当のあなた」はいない
そんな処に出掛けても、一時的な「偽りのあなた」を増やすだけ
あるいは、単なる「虚飾の世界」だからと割り切って、一時的に歌って騒いで、憂さを晴らし、いつかは家に帰る
そうやって「現実世界」と区別する
ネオン街は、偽りの世界、住む処「家」ではない
ある面「その切り替え、区別が出来ること」が、大人ということ...
だけど、やっぱり「自分は自分」
まずは自分で自分を認めてやらなければ始まらない
それは、他のヒトがどうこう出来るものではなく、「自分で」見つけるもの
そんな自分を出発点に、在りたい自分に
徐々に向かって行こう!
確かに「大人になる」ということは、如何にして自分を偽るか?と同義語のこともある
それは、周りにも「自分がいる」から
みんながみんな「自分の思った通りに出来るわけではない」から
どこかで折り合いを付けないと、他のヒトとは「あい」し合えないから
自分だけ「愛して欲しい」と言い続けるのは、単なる『わがまま』
まずは「自分がやって欲しい」と思うことは、自分から相手にしてあげなければ、すぐに無くなってしまうもの
みんなが求めてばかりいるから、社会に「愛が足りない」
太陽の光は、燦々と降り注ぐ
一方的に、エネルギーを放出してくれている
現代は消費するばかりで「愛」が足りないから、地上温暖化!?
どこかに溜めて置かないと「くれくれタコラ」な現代人は、使い果たしてしまうから...
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