「story of 花鳥風月」を書く前に、「起承転結」を書かなければならないようです
「花鳥風月」は、そのときどきの「美しい風景」
すべてが、ヒカリ輝いている風情
あるべき、この世の「姿カタチ」
言わば、理想的に物ごとが進んでいるときに見えている桃源郷
それが現れるためには、それを支える、それぞれの「起承転結」のシステムが、それぞれの役割において、有機的に結びついてこそ「見えてくる世界」
それぞれの役割ブンタンが確実に機能していて、はじめて見えてくる「風景」
本当は、ブラスして、足りなければ補足すれば良い...んだけど
現実は、つねに「無常」と言える、一時(いっとき)も同じではない「この世」
その中で、色々な「結び付き」が、常にお互いに理解され、機能している
システムが出来たから「安心」すべては「機能する」というものではない
それぞれが、お互いを理解して、補完しながら「働いて」いなければならない
「カタチだけ整っていれば良い」というものではない
機械であれば、ある程度の「歩留り」が期待できるが、それでもヒトの作ったモノ
ハナから、不良品は必ず紛れ込んでいる
また乱暴に扱えば壊れたり、気温や湿度などの要因で「ご機嫌が悪いとき」だってある
すべてにおいて100%は、あり得ない
まして、ヒトのココロは気まぐれであり、また体調が変われば「仕事の歩留り」も変わってくる
その上、イガイと「そのヒトにとってのカタキ」は、「ソト」にあるのではなく「ナカ」にあったりするから、より複雑になったりする
一番の敵は「ミカタの中のテキ」つまり、それぞれの分野の中の『人間関係』に見ることが出来るのかも!?
だから「笑いのない世界」は、必ず「何かが、何処か」にコモッテいる
余裕のない、まして息苦しい空間になっている...
話し戻って、起承転結/
それは、花鳥風月を支えるための、それぞれの「役割ブンタン」のカタチを作るための「物語」
この世の存在には、すべて「始まりから、終わりまで」がある
それはすべての分野において、その物語があり、幾重にも重なりあっている
文章や小説、ときに音楽であれば、それこそ「起承転結」が整っている方が解り易いし、目や耳に入って来やすい
より具体的な話しにすれば、「計画書」の書き方
はじめに「目的/理念など」を掲げる
次に、何故それをやるのか、現状の分析を含めて、その理由/目標を書く
そして、それを「具体的に、実際にやる道筋」を書く
最後に、それをやってみて「どうなるか」で閉める
補足的!?に「成功 or 失敗」の可能性を、ちょっとだけ「書き留める」...
まさに「起承転結」
そして、レポートの『フレーム』としては「何時、どこで、誰が、何を、どのようにするか」を記載する
つまり、大づかみ、あるいは細部にわたっての「役割ブンタン」を明確にする
そして出来るだけ、それを「関わる全員で共有」して、ことに当たることになる
但し、注意事項としてはやっぱり「理解力」には個人差があるから、それぞれのブンタンにおいて(ときに個人用に)必要な情報を「加工して」あげないと、ハナから「出来ない!」になるから、要/注意!!
そして、やってみる!!
それを終了した後、実際にやってみて、当初の計画書の「項目ごと」にその差異を検証して、報告書を書く
これも、計画書と同じ『フレーム』で作ってみる
その方が、全体としての「起」と「結」の差異が解りやすいから
一番の問題点は、計画書なり報告書は、あくまでも「実際のコピー」であるということ/
追記/まして、その報告書を書くために「現実がある」わけではない!!
本当は、関わる人間すべてが「現場にいる!こと」だが、そうは行かないから「書類」ときに「言葉」に書き写すことになる
だから、その作成過程において「ケアレス・ミス」や意図的な「偽」が交じるということ
いまは、多くの場面でその弊害が表面化している
しかも、結びつきの「全体」が大きくなり過ぎた...
その上、ときに、より多くのヒトが「重箱の隅ツツキ」に楽しみを見つけてしまったから、より厄介な状況
本当は、それにしか楽しみを見つけられない、八方塞がりの「この世」の状況が、もっと根源的な問題ではあるが...
そして、その書類たちを「誰に提出するか?」によって、それこそ「主語/述語、言葉の使い方」まで変わってくる
その「書面」上に、実際に関わる人間が、そこに「自分の姿」が見えなければ、怒るのは当たり前
実際に、解決しなければいけない事実、問題を抱える当事者であれば、なおさら!!
現実問題として、目の前に困っているヒトがいて、それを無視して「報告書のことバッカ」気にして物ゴトに当たっていていれは、誰だって怒る
何が大切なんですか?と
そのヒトが直接、おカネだけ払う立場であれば、その場で帰ってしまうし、外をあたろうとする!?
それに代わるモノが見つかれば、2度目はない
それが「ない」場合は、どうしたら良いのでしょう?
それが「ライバルと言える競争相手」がある、民間のヒト達の立場
「他もある」が現実だから、より目の前の事項に、一生懸命になれる
ある面「死活問題」だから...
だから『私の立場』から言えば、この世は「選択肢がある方が良い」になる
だけど、それをすると「無駄が生まれる」から、また問題
まして「たった一つの命」が関わるから、厄介
また脱線したから、軌道修正.../
そうやって、色んなところに「起承転結」がある
そして、それらが幾重にも重なって「曼荼羅」を形成しているのが、This World
それぞれにブンタンがある
それを「曼荼羅」の世界で例えるならば、
それぞれの立場や役割によって、観音さんなり菩薩さんがいたりする
その他にも、閻魔さんや鬼さん、阿修羅さんもいる
空間としては「六道の世界」や、単純に「天国と地獄」なんてものもある
意外と、ヨーロッパの世界でも「ギリシャ神話の時代」には、たくさんの神様が存在した!?し、イガイと失敗を仕出かすお茶目な神様もいた...
だから、もっと複雑だった模様
補足説明/
より単純化して「白かクロか」がはっきりしている方が解り易いから、キリスト教の世界では「神と悪魔」の世界にしたに過ぎないと、私は考えている...
ある種「桃源郷」あるいは「ユートピア」は夢物語だから、予定調和的に、みんな幸せになるように設定されている
あるいは、すべては結局「無に還る」
だから、そうならないように、あるいは瞬間的に「無に帰す」ために、たくさんの「リセット・ボタン」をあちこちに仕掛けて、みんな幸せになるように作られている
だけど「カタチあるモノ」使いよう
悪用するヒトが必ずいる!!
だから、この世は「苦しみに溢れてる」...
ホントは、お経も神話も「この世を桃源郷」にするためのストーリー...
それはさて置き「起承転結」の話し/
「街」には、それが目指すべき「起」としての方向性があり
「City」には、それを継承するための「承」の場所があり
「マチ」には、それを実現する「転」としてのヒトとシステムがあり
「町」には、それを「結」としての果を、次の「起」を生み出すための保管する場所がある
それは「やるべきこと」「目標」をみんなで共有して、それを実現させていく、
一言で言えば『道』でもある
色々なモノがコンガラカッタ Real World
それぞれの「立場」「役割」で、それをもう一度ヒモ解いてみなければならない
現在は、その作業を通してお互いを「見つける」途上なのかもしれない...
Go Ahead!! 前へ進もう!!
「花が咲き、蝶が飛ぶ、爽やかな風と見守る月がある」世界を目指して...
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