hot_eyes 雑記帳

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種(たね)と卵(たまご)


地上に生きる「生物」は、大きく分けると「植物&動物」になる
それ以外に中間色の、プランクトンや微生物、もっと小さくなるとウィルスたちも居る

そこまで行くと、生きているんだか?どうなんだか...!?

ウィルスは、分類すると「生き物か、どうか?」っていう中庸な、とっても微妙な存在である
そして、ときに急激に発生して、人間にとっては「悪さ」をする存在でもある

だけど、色んな「生き物」達は、自分の身体の中に「ビフィズス菌」などに住んでもらっている
そして、彼らがイー感じに食べたモノを腐らせるから、それを「体内に吸収」出来るようになる
身体の中が、完全な「無菌状態」になっては、生物は、そして人間は生きて行けない...

そして、新しい発見が、植物と動物の間の「地平線」も、あいまいなモノにして行く

それは人間が自分の「無知の知」を知るフォースを使って、知らないことの地平線を超えて、新発見を続けて来たから
新しいことを発見して解って行くことによって、それらを「分類」して行く
すると、最後は「どっちだ!?」ってことになって行く...

食虫植物は、何となく「動物っぽい」し、あの「なまけもの」は、植物かもしれない?ぐらいに動かない
だけど「なまけもの」も、危ない!って思った緊急時は、とっても機敏に行動することが出来ることが発見!! されている

この世は、人間が理解しているかどうか?に関係なく、マワッテている...


種(たね species)

それは、植物たちが「明日」を詰め込んだタイム・カプセル
その生き物が、それが行きついた処で、それだけで発芽して、自分たちの「種(Origin & sort)」を繋げて行くための方舟(はこぶね)

卵(たまご egg)

それは、動物たちの「明日」へのタイム・カプセル
植物よりも、親(成体)の世代が動ける!から、そこに詰め込まれる「要素」は少なくなる
親が、その「卵」が成長し易い所に移動して生むことが出来るから、不確実な要素は「温度」ぐらいになっている

また、植物の「種」は1,000年の時を過ぎても発芽できるが、動物の「卵」は、それは出来ない
それが産み落とされてすぐに、その中では「発芽」が始まり、何日間か経って、子供が生まれて来る
何年も経った「卵」は腐っているか、乾燥してしまっているし、まして「化石」になっては一環(一巻)の終わり

だから、何百年も経ってからでも「発芽が出来る!」は、不老不死っぽいから、偉い!とか思える
確かに、その尺度で計って「スンバラすぃー!!」って思えば、エライのかも知れない
けれど「自分の中の記憶の繋がり」を大事にする人間という存在からすると、いきなり「誰も自分が知らない時や場所」に目覚めても幸せか?っていうことにもなる

人生イロイロである

「種や卵」は、その種族(race or family)の親(成体)の世代が到達した属性(attribute)を受け継ぐモノ

生まれてくるモノは、その「そのまんまコピー」であるし、その方舟に乗った時点で「それ以上でもそれ以下」でもなくなっている
それが成長して行く中で、変化できる可能性、その「可塑性」は哺乳類よりも小さくなる

多様性(wikiの説明文

たぶん、ウィルスよりも微生物、微生物よりも動植物
その順番で、その「種」の分類分けの数、枝別れは広く、そして多くなっているはず
そして「動物」という分類の中でも、下等と言われる生物よりも、高等と言われる人類の方が「種類」が多い

しかも人類で考えてみれば、現代は「黒・白・黄色」っていう『肌のカラー』で分ける方法だけじゃなく、
「職業」っていう分類で分けて行けば、それこそ「無限大」なほど、色んな種類の分類が出来る
ある種「違い」を突き詰めれて行けば、まさに「一人ひとり」が、まったく違う「種」と言えるかも??

だから、一人ひとりは「孤独」に感じるようになるし、自分が「何モノ」?になってしまう

人間という「種」は、自分の中に大きな「鏡」を持って生まれて来る
しかも、属性として「自分と同じ」を好むように作られている
また、周りを「自分の思った通りにしたい!」という欲求も、併せ持って生まれてくる
その上、自分の鏡には「自分自身は映っては、居ない」??

自分の中の「鏡」は自分のモノだから、そこに映る世界は「自分の思った通り」にあって欲しい
だけど、そうは問屋は卸しては呉れ無い
だから「俺が、俺のための、俺による...」って思って、争うことになる

その歴史が、ある種「人類のストーリー」

人類は、自分の始まりがハッキリしている「種や卵」という形態、そういう風には生まれて来なかった
だから、ある種「世代」という、その「始まり&終わり」という地平線がハッキリしないので、生まれて来たとき「自分が解らない」
そして、それぞれに「自分探しの旅」に出る

そんでもって、色んなトコロで争って来た...だけど、地球は、青く円(マル)かった

そんな争いに「終わり」を告げなければならない
「鏡」の向こう側には、何も無い

そこには「今」が映っているだけ
そこに映るものには、本来モノゴトの「優劣」は無い
ただ遷(映)り行く、常に無常に続く「今」があるだけ

ヒトは自分が、自身で理解出来ないことがあると「不安」になる
自身が、そして自信が無くなることがある

その「闇」を、鏡の持ち主としては「何か」で埋めようとして来た

一つの方法として、八百万(やおよろず)の神々な人たちは、それを「神」として崇めた
そうやって「変わらないモノ」にした
もう一つの方法としては、それを「否定すべきモノ=例えば悪魔」として、排除しようとした
だけど、次から次へと「それ」は発見!? され続けて来た

確かに、色んなモノゴトを「乗り越えよう!」とする人間のフォースは、多くの地平線を乗り越えて「人類は進歩」して来た
だから、今がある!!

それも、一つの「人類のストーリー」

色んな「物語」があって上等!!
だけど、「過ぎたるは及ばざるが如し」
あるいは、色んな事は「諸刃の剣」

阿修羅の顔は、2つ(あるいは3つ)ある

確かに絶対的に「不動なもの」があった方が解り易い
だけど、この世はマワッテいる

ときに「まあまあ」だけど「怒るときは怒る」
それを繰り返しながら、やって行くしかないのが、ヒト全体、
みんなの「ストーリー」

そうだ!と思わない??