hot_eyes 雑記帳

オフィスに掲載しない「小ネタ」を描く場所

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大雑把

おおざっぱ / rough; loose

/形容動詞
/細かいところまで注意が行き届かないさま/粗雑/おおまか
/「―な計画」「―な性格」

/全体を大づかみにするさま/大体/あらまし
/「―に話す」「―に見積もる」

似た言葉/

十把一絡げ(じゅっぱ・ひとからげ) all together; in a lump.

/いろいろなものを雑然とひとまとめにすること
/一つ一つ取り上げるほどのことはないとして、まとめて扱うこと

一色多(一緒くた/いっしょくた) confuse (A with B).

/雑多な物をひとまとめにすること
/ごちゃまぜ


枕詞(まくらことば)の「だいたいヤねー」は、某竹村健○さんの得意ワザ

色んなモノゴトを「
それぞれ1個ずつ」カウントして、それをアタマの中の「引出し」に仕舞っては、すぐに「引出し」が幾つあっても足りなくなる
だから、自分の中の分類上で「同じようなモノ」を大掴みにして、1つに纏(まと)める

そのことは、人間みんなが持っている(または、はず!?の)知恵

だけど「同じこと or 違うこと」が、分からないと、分類は出来ない
だから、その「ボーダーライン上」にあるモノゴトについては、ヒトに依って自分の中の「収め方」が違ってくる

その1/それこそ、大雑把に、エイヤ!って言って、どっちかに押し込めてしまう
その2/とりあえず「その他/ペンディングの箱など」の分類場所を作っておいて、後から分析するように「一度そこに」入れて置く
その3/そんなものは「俺には、関係ない!」って、知らん顔を決め込む...

「その1&その3」に関しては、その場で、イチオウ結論がつく
けれど、その中間の「その2」に関しては、その場ではモノゴトは決まらない
また、いつまでも結論を引き伸ばして置いては、自分の中が「混沌(カオス状態!?)」になってしまう
まして、他のヒトの視線から見ると「はっきりしないヒト!」と映ってしまう

今の世の中、色んなモノゴトに対する「判断力」が求められているし、誰かが判断しなければ先には進めない
また「次に、早く行く!」ためには、その判断するスピードも要求される
まして、その立場に居るヒトへの「能力評価」についても、その瞬発力を要求されることになる

だから、みんなストレスを感じてしまう

モノゴトを判断する、特に「優劣を付ける」ためには、
それを「どっちにするか?」を決めるための『判断材料』を、まず収集しなければならない

次に、その2つあるいはそれ以上ある「モノゴトの違い」を分析して、それに「良い&悪いトコロ」の判断をしなければならない
そして最後に、日本では自分の「印鑑」を押して、自分が決めました!と責任のダメ押しをしなければならばい

この「3行」の中だけ!!でも、そこには「しなければならない!」
が、3つも入っている
当事者には、とっても「プレッシャー」が掛る
特に、その判断の結果によって、その先の「未来」がまったく違って来る、あるいは、その判断の影響の及ぶ範囲が、広ければ広いほど、それに比例して「その責任は重く」なる

常に、人間は何かを背負って、生きて行く

イチバン「楽」!なのは、そんな責任を背負わなければいけない立場に居ないこと
そして
、その結果だけを「評価」する立場に居て、自分の要求だけを言えるところに隠れて居ること
その上、知らん顔して、自分だけの「利」を蓄えること

今は「情報過多」の時代と思われているけれど、必ずしも「必要な情報が、必要なヒトのところ」に届いてはいない
あるいは、色んな「付加(された)価値の無い、あるいは必要のない情報」もクッツイテくるから、判断材料にならないことも多いし、逆に判断ミスの材料にもなる
まして、何処かで「私欲」の混じった情報も混じるから、気を付けろ!

過去の歴史の中で、多くの「失敗のストーリー」は、その情報収集の誤りによることが多い

システムは完璧!なのに、何処かが綻(ほころ)びると、何時かは「滅びる」
そのイチバンの「ボケツ」は、判断をする立場の人間が「フラットな情報」を仕入れていなかったこと
あるいは、本来の自分が「目指していた目標」を見失ってしまったから...

あるいは、本人が端(はな)から、それを持っていなかった??

水戸黄門」が、正しい判断!が出来たのも、影になって走り続けた「風車の矢七」が居たから
印籠」があれば、助さん格さんが居れば、すべてが「ハッピーエンド」になったワケではない
地道に、大掴みではあっても「正しい判断材料」を仕入れて置き、それを自分の中で常に整理して、仕舞って置くこと
それが出来たから「大笑いで、次!」の、新しい出発(旅立ち)が出来た

「怠け者」になっていてはいけない

母に捧げるバラード(by 海援隊)」はちょっと極端だけど、その立場が背負うものを「面倒臭い!?」と思うようなら、『死ね!!』である
セメテ「自分が至らない」と思うなら、その立場になることを遠慮するぐらいの配慮が必要である


その「判断基準」としては、自分の口癖に「前例が...」っていう言葉が出るようであれば、モノゴトを判断しなければいけない立場に居ては、イケてない!!

「未来」は、ルーティーン(routine/決まり切ったこと)ワークではない
「未来への判断」が必要な現場には、常にチャレンジするココロが必要だから、過去の中の「同じような経験」を探すのは必要だけど、同じことをやっていてはいけない

一方では、現代は、文明の進歩が速い(ハヤ過ぎる!?)し、その新しい「技術の発明」に依って、モノゴトの「判断を下す」ボーダーラインの幅は細く、分かり難くなっているもの確か

「人間の生き死に」の判断を下す現場は、特にそう!!

医療の世界では、そこに従事する立場の人間に掛るプレッシャーは、ますます大きくなっている
ちょっとした「判断ミス」が、すぐに!! おおゴトになる

特に、同じ様な症状の病気の種類が増え、その治療法も選択肢も増え、色んな機器がある「この時代」

其処では、それこそ「何処に住み、誰と出会うか?」に依って、そのヒトの人生の未来は、大きく変わって行く
それは、色んな要素が絡み合い「ちょっとしたミス」の積み重ねに依ってでも、その結果がまったく変わって来る時代でもある

「何だか解らない!?」呪術を頼って、祈って貰う方法もあるにはある
けれど結果としては、訳の分からない「言い訳」の羅列で、納得させられるのがオチだから、出来るだけチャンとした医療施設に罹るのが、正しい方法

それでも、納得の行かない結果って或る

良くない結果になったとき、口には出せないけど自分に責任があるかもしれない、と思っているヒトはたくさんいる
それこそ、ココロある当事者は「あのとき、あれを、ああして置けば良かった」って後悔している

けれど、失われた命は戻っては来ない
いま目の前にある現実の「結果」は、もう変わらない...
そして、その結果を「どう受け止めるか?」によっても、その後のそれぞれの生き方も変わって行く

むかしの時代は「目には目を&歯には歯を!」が基本
その頃は、有無を言わさず、そのヒトが「仕出かしたこと」と同じことが、本人にも還って行くのが当たり前だった

問答無用の世界

けれど、やっぱり本人の言い分(ぶん)だってある
それを「聞こうじゃないの!?」っていうのが、今のご時勢
だから、いちいち面倒臭いけど、色んな「裁判」って時間が掛る
中には「時間稼ぎ!?」っぽいものもあるけれど...

ある種「閻魔大王」は大変だ

自分の前に「引き出されたヒ」トの、その後の人生!?、
行き先を決めなければいけないのだから
しかも、未来永劫のこと、何時までも続く「天国か、無間地獄か」の選択
それを決めなければいけない立場なのだから

たぶん当事者本人の、正確な「過去帳」はちゃんと整っているはずだから、最後の審判は、閻魔さんのさじ加減に掛っている
一人ひとりの「上か下か」を決めなければいけないから、それはそれは、とってもプレッシャーが無限大!?
しかも、ちょっとでも袖の下でも貰おうものなら、今度は未来永劫「その汚点」はついて回る...

だから、閻魔は笑えない??

だけど、今は「現世の罪は、現世で償う」が基本
だから、誰かが「判決」を付けなければいけないし、みんながその結果を「ブンタン」して背負うことになる
もう誰にも「黙れ!」と言う資格はない

拝一刀/公儀介錯人
おがみいっとう/こうぎかいしゃくにん

あのテレビドラマの「子連れ狼」の主役の名前
彼は自分の家の裏に、介錯をした人々の「慰霊庵」を作っていたことになっている
その人間の「罪」の重さに関わらず、全員の位牌がそこにあったはず
また、生涯無敗だったとされる宮本武蔵も、倒した相手の名を刻んだ木像を彫っていた

みんながみんな「色んなモノゴト」に対するそんなモノ!?を造っていてたら、
この世は木像だらけ、あるいは慰霊庵だらけになってしまうから、
セメテ「ココロの中に」それを作らなければ、いけないっしょ!?

それすら無いココロでは、その立場に居てはイケない!

まして、天下る!?なんてことはあってはならないし、静かに「お引き取り願いたい!」ものである

モノゴトを決める!ということは、腹を括るということ
腹の据(す)わらないモノには勤まらない役割

心当たりのある人は、ココロ静かに、自分の鏡を覗いて見てみよう !!??
そのあと「どうするか?」は、自分で判断して下さい...

ツ(^o^)シ