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Story of 花鳥風月 - 花の巻 -

とうとう始まります !! 花鳥風月の物語「花の巻」


「花」の字を分解すると、「草」カンムリに「化(ばける)」

モノを分析する学問としての「かがく」は、科学&化学&歌学...がある
取り合えず「歌学」は、ここでは措いて置く??

「科学と化学」は、大きく分けると、
「科学」は、いま!を分析するモノであり、 それは「観て、診て、視る」学問である

「化学」は、今後どのように変化していくか?を予測することを含む学問
つまり、積極的に「何らかの手を加える」ことにより、その手段と結果との因果関係を見つけ出す学問である

時に、現代は「変化すること」が、お金になることだったりする
だから、化け学系の「化学」の方が、産業界には、受けが良く!?
資金援助などで、より発展しているのが、現代の世相


最近、ある意味「中学校」を置き去りにしながら、大学は「産業の一つ化」させられて、それぞれの大学の教授や准(じゅん)教授陣は、それぞれに教授室から「街」に出て、色々な官や民と「&」の関係を築こうとしている

私個人でも、ここのところ、そんな方々とリンクし始めており、
どうしたら協力出来るだろう?とか、思案中なところ??

また一方では、幼児教育&小学校がある面、地続きな「原風景の形成」ということを、無視した形で、広範囲での「統合の道」を進んでいる
現在の日本人の持つ情緒不安定な傾向は、多分に!「ベースとなる故郷を持たない」ことによるもので、それを形成することをせずして進む「効率化のみの追求」は、それこそ日本人のココロを路頭に迷わせることと同義語である

けれど、世の中は、色んなモノゴトが変わって行く...
しかも、この100年の間の「エネルギー関連の爆発的な技術革新」は、多くの分野において、急激な変化を齎(もたら)せた
また、コンピュータという電脳が、それこそ!ある面「外付け脳」として、色んなモノゴトの結び付きを直接、接続させ、大きく変革させている...

それこそ、それに人間の思考が追い付いていないことが、多くの物語(≒悪循環すもの)をアチコチで作り出している...

しかも、必ずしもすべてのモノゴトが、足並みを揃えて変わって行けるワケではなく、
それぞれの分野や地域においても、その歩幅が一律でないままに、すべての人間が巻き込まれている
そして、それぞれが影響しながら、全体が少しずつ変わって行っている

それに、全体のフレームが耐えきれなくなって軋(きし)んでいるのが、
現在の「日本の風景」
それは「地球」という規模の世界でも、同じ傾向にある

また、大きなシステムの変革が必要なとき、
時に&時の、それを推進する立場のモノは、その「直近の有り様を否定」して、如何にも自分たちが「新しきモノ」という演出をしたい様なのが、過去の歴史でもある
それはある種の、単なる「自己主張」という様相を持っている様である

確かに、その切り口がシャープであればある程、その後の時代における評価は高く見られることになるのが、今までの歴史(この「金字塔」は、俺が建てたって感じ!?)
しかし、時として、そのことにより、アチコチに色々な傷痕(アト)が残る場合がほとんどであり、
出来れば、切り捨てられるモノが出ないようにするのが「今日の規範」であることも確か...

結局、カッコイイことを言っても、今のままでは、
過去の奴らと「同じ穴のムジナ」だよ、民主党の皆さん??
そして、いまのままのやり方では、変われないのだよ、自民党さん??
で、それらの事は、また何時か、細かく描くとして...


いまは「花」の話し

ココのところ、インターネット上の旅をしながら、
始まりは「北海道には、どんなヒトの流れがあったのか?」だった...
そして結局、日本列島という舞台の上で、どんな人の流れと繋がりがあるのか?を、ここのところ観て来た積もり...

その間、司馬遼太郎さんのNHK「街道をゆく」のDVDを倍速で見ながら、かつ、ネット上で出会ったHPを「杜の路」や「ニッポンちゃちゃちゃ」に貼り付けながら、進んで来た
今のところ、貼り付けの作業は、それなりに成果はあると思うのだが、アチコチに分散&混在しているので、もう少し分類して整理しなければ、利用出来ないかな?と思っているところ...
また、色んなヒトやHP、そしてテレビやラジオ番組から、色んなヒントを受け取って来た、積もり

で、今は Google Earth で、中国の四川省やミャンマーの上空を飛んでみたり、地図だけでは分からない「地続きな繋がり」なんかで、ヒトはどのように「東に向かって来たのか?」を理解しようとしているところ
結局、日本だけでは収まっていれなくなってしまった !?

だけど「日本」の上での大きな流れは、すでに理解した!ツモリ
それを始めた(3月頃)までは、人間はなるべく「地続き」な山沿いのトコロを歩いて移動して来たと思っていた
かつ、日本人(≒和人)のほとんどすべてが「農耕民族」であると、思い込んでいた

ある種、日本人を大きく分けると、和人と言われる「農の民」と、沖縄系の「海の民」とアイヌ系の「山の民」の大きくわけて、3つぐらいだと思っていた

しかし存外、九州や四国、中国地方には「舟」で到着した日本人の祖形の民族がいて、必ずしも「日本人は農耕民族だけ」という、色を持つ存在ではなかったらしい

しかも其処には、ある面いまでこそイスラム諸国と言われている種族と同じ「祖系」なひと達の気配も感じている
それは、主に九州&四国の太平洋側にあり、より似た傾向を持っており紀伊半島まで繋がっていた
そして、ちょっとだけ中国地方の日本海側の種族とも、性格を異にしている
大掴みで言えば「洋の民」か?

また一方では、農耕民族という括りの中でも、大和の地域(近畿地方)と、日本海側の「越」の地域とは、また別の種族でもある様だ
しかも、近畿地方でも、幾つかに分かれた傾向の違いがある...

それらは大きな括りでは「農耕民族」が主たる傾向ではあるが、中国大陸の南側、あるいは北側、そして朝鮮半島からなど、出発点(それまでの積み重ね)での違いに始まり、それまでの歩んできた「道」の違いも含めて、やはり微妙に違った傾向を持つものになっている

そして、それらの「洋の民」「平野の民」の間を抜けて行く様に、ある面「岳の民」と言える、宗教的には山岳密教系の種族の存在も感じられる
どのような経路を通って日本に来たか?は、分からないが、明らかに、他の種族とは違う存在を感じる
その種族は「風の民」でもあり、より行動範囲は大きく動く傾向にあるようだ

そして、現在は「アイヌ民族」と言われる種族は、最低でも東北地方に、和人系の種族とは別に住んでおり、その向こう側の北海道には、エスキモー系のオホーツク人が住んでいた
それぞれに「独自な文化」を持ち、生活を営んで来たが、和人が北上するに連れ、生活範囲を北海道に狭められていった...

それらの種族が、この2,000年位の間に、混じり合って来たのが、日本列島の上での物語
(「紀元節」で言うなれば、約2,600年の間の出来事)

その時点での「最新の技術」が、その優位性によって広がって行き、ヒトの交流も進めて行った
だから、沖縄と北海道地方は、より最近に!和人系との結び付きが強くなったから、独自の特徴を見せているに過ぎない

ただし、宗教などの精神世界は「変化を好まない」から、それぞれの地域の「神社や仏閣」あるいは「お祭り」などは、何百年単位で継承されて来た
しかし、それでも、大きな変革期に切り捨てられたモノもあり、土に還ってしまったモノもたくさんあるのも事実である...

しかし、その種族が崇める、大きな存在といえる「神」あるいは「仏」の傾向に、その結び付きを見ることが出来る

その、種族間のシャッフルは、色んな理由(支配&被支配の関係など)の元&下に行われ、大きな括りとしての「今!」の状況まで続いている
それらは、遺跡や旧跡の中に、そして地名や苗字、あるいは家紋などに受け継がれて、それぞれの名前やシンボルの中の「音」などに、類似性や結び付きの痕跡を残している

大きな流れとしては、やはり南西から北東にそれは進んで行った...それは事実
しかも、必ずしも地続きで進んで行ったのではなく、飛び地的な移動、あるいは逆戻りもあった

そのため、それを区別するための、ある種の「ライン」としての線引きは、明確に行うことは出来ず、こんな感じ!くらいのモノでしかないワケではあるが...


それらは、

花の種が、風や鳥、その他の動物によって運ばれて移動したのと同じ様に、人間も大きな流れの下、複雑な移動を、繰り返して来た
その移動することの、大きな理由としては、遊びたい&新しいことを知りたい存在である「脳」の根源的な欲求が支えている...

そして、

人類の大移動という、大きな流れは、すでにオホーツクやアメリカ大陸、そしてオセアニアの各地で、地球を一周してしまっており「ニューフロンティア」という地は、地上には無くなった
最近また、多くの眼が「宇宙へ」行っているが、今の「人間のココロの有り様」では、宇宙に進出しても、また!兄弟ゲンカの繰返しをするだけ
(その上、今まで色んな意味で搾取するだけして来た、アフリカ大陸に、また!手を掛けようとしている)

それこそ、GUNDAMの世界

それは、今までの「地上の世界」での出来事を宇宙に持ち込んでしまった、という繰り返された物語
そして、ある面、原作上は視えて来ているモノゴトもあるが、その道の途中で「収拾を付けられなくなった」痕跡も、そこに観ることが出来る

その世界の向こう側

それなりに、シャッフルされて、とりあえず、根源的な「和」の重要性を知っている日本人のココロ
日本人が、比較的「大人しい」と言われるのは、人種的シャッフルが進んでいることと無関係ではない
ただし、だからこそ、その捌け口としての「噂話し」的なことに、必要以上の「楽しさ」を感じてしまう傾向にある
(ある面、それらは裏オモテ(言うなれば、屈折した自己表現!?)の関係でもある)

それに「話」の技術、および人間関係のシステムとしての「輪」をどう結んでいくか?
それらを、みんなで共有して行くことが出来れば、乗り越えられる課題はたくさんある

まずは、それぞれが「花」の様に
みんなで自分たちの目印、あるはシンボルを掲げてみよう!
それこそ、まずは自分を見つめる、糸口は、温故知新で上等 !?

それらの意味を考えながら、まずは自分たちが何を継承して来たか?を考えてみる
そして其処に、自分たちの「色」を加えてみる...

花は、少しずつ変化をしながら、多様性を持たなければ綺麗ではない
多様性があるから、明日が来る


現在、EUの旗は、星が丸く並んでいる...
あとは、どうやって一神教のキリスト教の呪縛を乗り越えられるか?

アメリカの旗は、星が横並びなんだけど、ちょっとだけ「自分たちが正しい」を主張し過ぎる?
中国の旗も、チベットにも通じる、彼らのココロの「五つ星」なんだけど、1つの星がデカ過ぎる?
インドの旗も、平和が基本なんだけど、ちょっと24本の棒は複雑すぎる?

それでも淡々と、太陽は輝き、地球は廻っている...


参照:各国の国旗一覧/更五版


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