hot_eyes 雑記帳

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道具(刃物&K-tai)

「道具」は使えなければ、意味が無い!それが基本

最近、文部省関連の審議会の「答申」で、
子供にはK-tai(携帯)を持たすベカラズ
っていう回答が出たらしい

イーんですか?それで??

今更ながら、小学校から英語の授業をやらなければ!って、
騒ぎ出している「英語教育の失敗」の、二の舞にゼッタイ何時かはなる!
パソコン教育も So too...だった

結局、学校では何も教えられない!とかいって、
学習塾に行く Yoh!になる、のがオチ

パソコンだって、学校で教え切れない!ので、色んなスクールがあるし、最後は何らかの目的をもって「独学」をするしかないから、案外「毒学」になっている
...その「毒」が電脳の世界に蔓延している

結局×2
K-tai は、今は「ハサミ」などの刃物以上に、生活に無くてはならないモノ
最低限「みんなが持っている」し、使いこなせれば、とっても便利

読み書き&算盤(そろばん)の十露盤は、電卓に取って変わられてしまった感がある
けれど、素人(シロウト)レベルでは電卓の方が「計算の間違いが少ない&計算が速い」っていう利点もあるが、算盤でなければ「理解できない世界」って在る!

その技術を習得することで、観えて来る世界って、どの分野でも必ず「在る」
そのためには、まず「道具に慣れること」が必要で、それは出来るだけ生まれてから「早い段階で触れること」が重要

だから、英語教育は小学校から!とか言っているんでしょ?
それと同じレベルで、パソコン&K-tai 教育は重要

但し、イチバンの問題!
それは「ちゃんと教えられるヒト」が、絶対的(敵!?)に不足していること

私的な「昔のノンフェクション(私の体験)」
それで言うと「中学時代の英語」の授業は苦痛だった
あとから思えば、その発音じゃあ !? 誰にも、英語として通じないでしょ?っていう発音しか出来ない先生が「英語」を教えていた
だから、その後は色んな意味で苦労をした??

確かに、本を読むためには「グラマー(文法)」は大事
だけど、スピーチやコミュニケーションは「発音が、命」

今の世の中、コミュニケーションが、イチバン大切!な御時世
だから、それを教えられないヒトが英語を教えていては、イケて無い?でしょ
まずは、それを出来るヒトを育てる、あるいは他の分野に居る!なら、手伝って貰う

はっきり言って、今の教員の数では、まったく足りない!のが現実
「ゆとり教育」ってヤツも、理念は良かったけれど、現実的に、
その時間を有効にコーディネイトできる先生が足りなかったから、失敗した

そんな色んな、二の舞、三の舞が問題!が出番を待っている
そんな様に思えてならないのは、私だけ?


かつ、日本人の中には「学問&実学」を差別する空気感が有る!
何となく「取り合えず学問しているヒトは、偉い」感がある
あるいは、そう自分を思って欲しい!?ヒトが沢山、居る

そのことが、すべてをヤヤコヤしくしている

確かに、日本人は「文字」あるいは「書物」を大切にする種族だった
だから学校では、ゴチャゴチャ喋っていないで、黙って勉強しろ!って言う

また一方では「文字に書かれたモノ」が無い世界では、背中で語ろうとして来た
ある種「しゃべることは良くないこと」っていう感覚は有る
確かに、言葉では伝えることの出来ない事って、沢山あるワケだから...

そして性根の処で、学者様は兎にも角にも「エライ!」って思っている
その前に、僧侶様は「三宝を敬え(仏&法&僧)」で、
つべこべ言わずに、エライにした

長らく仏教界は、禅宗が全盛だったから、静かに黙して語らず!がイチバン
それが大事だったし、学問をしているヒトは、有無を言わさず「偉かった」
だから、お経の中にも、色んな言葉で、それが読み込まれている??

その余韻が、未(今)だに続いている...

一方では「実学の分野」の立場からすると、
煮ても焼いても、
何の役にも立たないことを考えたり、調べたりして、
Do! するの?になる
ある面では、学者さん達を敬って居ながら、軽蔑する思いが、ソコにはあった

だから、それぞれの分野のエキスパートの間の、
その感情面での「溝」は大きいけれど、いまはそんなことに拘っている時代ではなくなっている...


で、ツール(道具)の話し 結局×3の巻

K-tai は当分の間、この世から無くならない道具であろう

だから、ちゃんとした「教育」という形体で、使い方を教えなければならないモノである

「子供に持たせることによる、トラブル」よりも、
「ちゃんとした使用方法が出来ない」方が、よっぽど深刻な問題になる
かつ有用なツールであるし、もっとみんなが使える方が、より良い世界になるハズ


結局のところ、普及率で比べれば、K-tai よりもまだまだ低い、パソコンではある
だが、もうパソコンの無い世界は、絶対に!来ないであろう
だけど、ちゃんとした、理念あるいは目的をはっきり持たないまま、
世界に普及してしまった感が強い

人間同士が繋がって行く意味、
あるいは、その一つの方法としての「電脳の世界の役割」
それを、理解しないまま、世界に広がったから、問題なのである

確かに「気違○に刃物は禁物」は○(正しい)
/誰を?って話しは、置いておいて

それと同じ論理で「子供にK-tai は禁物」では、社会はちゃんと回らないし、時代も廻って行かない
けれど産むが易しで、柔らかアタマの子供たちは、軽々と我々の「負のイメージ」を超えて行く...

自分たちが教えられないモノは、関係無い!では、世界は変わって行けないし、
あの鎖国時代は「日本列島の中の自分たちだけは、良かった」
けれど、いまは、そんな時代でも無い

ここのトコロ、日本では、色んな分野で「自分が理解できないこと」から、遠ざかろうとする傾向が強すぎる様に思われる
「何らかのトラブルが起きる」なら、そのこと自体を「遣らない!」っていう方向に走り続けている

だから、何でも変わらないし、変われない

何時か必ず必要になる!
そんなモノなら、トットと手に馴染むぐらいに使わせてやればイイ
隠れて使おう!ってするから、間違った道に迷いこむ
そして要らない考えに飲み込まれて仕舞うことになる

イチバン「子供」なのは、そんなことが理解できない、「自分は大人だ!」と思って込んでいるオトナな人たちだったりして?
本当はそこから、教育し直さなければいけなかっりして??