hot_eyes 雑記帳

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人間は「手」を持ったから、脳が発達した?

あの手この手

手に纏(まつ)わる、色んな言葉
具体的じゃないけど、何となく理解できる言葉としては、
手を付ける/手を染める(対/足を洗う)/得手に帆を挙げる
手に馴染む/手当てする/手紙/手中/手動/手法
...etc.

四文字熟語だと、
先手必勝/手前味噌/常套手段/眼高手低
...etc.

単なる身体を支える前足!?だったモノから、
それとは別な役割を持った足な「手」
ドラえもんは「指が無い」のに、モノが持てるのは何故?は、藤子不二雄さんか、小学館(音)に聞いてみて?

どうしてそうなったのか?の探究は、その道の専門家に任せるとして、事実として「手」を持ってしまったから、新しい脳の部所(主に前頭葉)が発達して、
いち面、みんなが、持て余し気味の「遊びたい部所」っていう余力が付いてしまった?

それは、もう一つ、今とは違う、新しい世界へ行くための余裕の部分なのかもしれない??が...

で、基(もとい)!の「手」の話し

「手話」は現在も発展途上の言語で、色んな方言があり、現在、みんなが使い、分かり易い、色々な共通語が出来始めているらしい

声に出して伝える「言葉」や、書いて伝える「文字」の世界でも、
エスペラント語っていう試みなどもありながら、
色んな道を通りながら、色んなヒトが「何かを、間違いなく伝えよう手段」を模索している

また、海の上なんかで使う体系化された「手旗信号」なんかも、それなりの熟練が必要である
スポーツの世界でも、ジャッジやレフリーが使う、ペナルティーや反則などを、どの様に判断したか?を、知らせるためにホイッスルを持つ

「音」だけでは伝わらないから、見ているヒトに伝えるための、色んな種類の「ジェスチャー」も追加する
また、それぞれの「ルール」も少しずつ変わっていくのも当たり前で、それに合わせて色んなモノも変わって行く
それぞれの「種目」毎に、それ用の「見守るモノ」の手法、あるいは作法も生まれ、洗練されて行く

より世界言語化!?しているサッカーなんかは、より分かり易くするために、まず「イエローカード」
それじゃ済まないゾ!な、終いに出しちゃう「レッドカード」っていう順番で、カードを出す
「そりゃないしょ !? アンタちょっとやり過ぎ!」って思った時には、最初にいきなり!「赤」を出す

信号機なんかは世界共通語だし、黄色い「虎」は遠くから見ているときは「注意」だし、火山なんかでは「赤い火」は命に関わるから、赤が出たら「逃げろ!」
だから、どんな場所でも、それは共通、一緒だから、分かり易い
徐々に、色んなモノが似て来るのは、当たり前

人間は、色んな手段&手法で、何かを伝える(≒伝えようとする)

最近では、電脳を使ったコミュニケーションの世界では、
K-tai(携帯)の分野まで、スムーズに「動画」も送受信できるようになり、それを使って色々と表現できる時代になって来ている(らしい)

益々技術は進歩し、それらを使って、より多くの「情報」をやり取りする様になって来た

色んなモノゴトが、色んな「スタンダード(≒標準)」になり、当たり前になって行く

だけど、その変遷のスピードについて行けないヒトを取り溢(こぼ)したまま、色々な「手段」としての技術だけが突き進んでいる
一方では、それを理解するための「手引き」や「手本」である、マニュアル本も「手に余る」存在だったりする

そして案外、みんながそれぞれに「自分が標準だ!」って思っている

特に「自分は大人だ!」って思ってる(≒いたい)ヒトは、
一度「手に職を付ける」と、そのこと以外のこと、あるいは、その世界でも、それ以上のことに「手を出そう」としないし、そのままで「威張っていたい!?」なんてことになってしまう
本当は、自分が「手を拱(こまね)いている」のを知られたくないから?
黙っている!?か、煩(うるさ)い! or 黙れ!って、虚勢を張っていたりする(ちょっと判断が微妙??)

そのことが、色んな意味で「手枷手枷」になって仕舞う
あるいは、他のヒトに「手を貸す」のではなく、すぐに「手を焼いて」しまうことになる?

いま色んな分野が「手が
廻らない!?」のは、案外、
みんなが「手当て」っていうモノを忘れているからかも知れない??

医学の世界では、本来「まず手を当てて診る」が基本だった様に思う
今の様に、何でもかんでも、検査機器には頼らなかった

聴診器なんかで、それっぽく、ポーズは取った?
けれど、まず最初は「手で触れて診ること」から始まり、患者の話しを聞くが、すべての始まりだった様に思う

あんがい多くの「病気」って、気のせいだったりする?し、
結局のところ「自分で治る」しかないワケで、
本来「薬」だって、自分で直ろう!とするのを助けるだめのモノだった

ただ単に、誰かに「手を当ててもらった」だけで治ったり?
話しを聴いてもらっうだけで、胸の閊(つか)えが取れたりする

確かに、現在の医学(術)は凄い!し、それこそ「手術」はキッタハッタの世界で、それをやらないと「治らないこと」ってたくさんある
現在は、遺伝子の世界「ゲノムの解析」ってところまで、細かく分析する時代に這入って来た!から、より物理的な治療法って、ますます進んで行く

だけど、その方法でしか治らない「病気」って、1/100ぐらい?か、それ以下の確率の部分だったりする
1/99ぐらいの病気は、自分で理解出来ないことを、その分野の専門家に話しを聞いてもらい、「大丈夫だよ」って言ってもらえば、治る方向に向かう場合が多い様に思える

確かに、老化を含め、人間だって色んな意味で「腐って行く?」
今までは、もっと解り易い、早い段階で死んでいた??

ますます「生と死の狭間」って、分かり辛い(≒ココロが辛い)ところになって行っているのは確か
それこそ、それを「自分で決められる」時代でもある
...人工呼吸器を何時、止めるか?って話し

だけど何となく最終的に、色んな意味で「満足」するためには、
色んな意味での「手」が必要な気がする

いまは、もっとお互いに「手を貸そう!」な時代なのかもしれない
ただし、返してもらうことを期待しない、例えば煙草の「火を貸す&借りる」くらいの感覚で...

手が満たされる(≒満手?)したら、みんな手を挙げて「万歳」出来る?