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Story of 道 - 脇道の巻 -


NUMBER (=数字)

Sports Graphic NUMBER  707

文芸春秋社が、発行するスポーツ雑誌
この雑誌は、私が高校生の頃に「創刊号 NUMBER 1」が発売された
当初、それは「毎号、雑誌名が変わる!」っていう触れ込みで、創られた

確か、NUMBER 4 あたりまでは、その「4」までが雑誌名として謳われており、
毎回が新発刊である!って、編集後記あたりに書いてあった
その後「本業界の発行の規定」やなんかで、それは駄目!っていうことになり、結局、数字の部分を「○」で括って、ちょっとだけ頑張っていた...

その後、その趣旨が「一般受け」せず、あぶなく廃刊に追い込まれそうになったが、
「NUMBER 10の長嶋茂雄特集」で持ち直し、今日に至っている
多分、その号だけ!2種類のバージョンがある

因みに、個人的には NUMBER 100 あたりまで、毎号買っていた
上記の2バージョンも持っていたし、それこそNUMER 3 が手元になかったので、たまたま大学受験のときに、ワザワザ!?紀尾井町の本社まで出向き、受付で直接、購入したりしていた...

が、途中、それこそゴシップ系「スポーツ紙」っぽい、編集方針に変わって行ったので、「苦言の手紙」を送ったら、何やら、逆ギレっぽい返信があった
...ので、何か、こっちの方の「熱が下がってしまい」買うことを止めた

けれど、不愉快だったから、それ!まで買っていた号の全部の写真を撮って、逆ギレの逆!の手紙を送ってやったが、音沙汰なし
その後、東京を引き払う時に、それまで買っていたモノを本社に送ってやった??
アイツらはいま!どうしているだろう??

現在は、所期の編集方針に近いところで発行されている様なので、ときたま、覗いたりしている
ちょっとだけ、不愉快さがある!ので、買うことはしない??
それが、私のコダワリ...!?

スポーツにおける「記録」ってヤツは、明確に数字!に表われる
そして、色んなルールや規定は、それを「明確化するため」に存在する

ときに「引き分け」っていう場合も有り得る
それこそ、いくら何度も!ビデオで見直しても、そこに写っている映像では「鼻の差」が着いていない!っていう場合は、必ず有る
多分、もっと精度を上げて、ミクロの世界まで入って終えば「差」が出てくるはず
だけど、其処(≒底)まで、明確にすることが必要か(≒化)っていう問題も含めて、ある程度のトコロで止めないと、結果を知りたいヒトたちのクレームの嵐になってしまう??

が、ほとんどのモノゴトには、原則「白黒をつける」
それが、記録として後(≒跡)に残り、後世に伝えられる

確かに、例えば日本人の大好きな、高校野球(音)/高野連
そこには必ず「準優勝校」っていうモノは、存在する
たった1校の負けなかった優勝校以外は、みんな一度は負けているし、それぞれの試合にはドラマがある
それらの記録は、その年、あるいはその次の年あたりまでは、ヒトのココロに残っている

しかし、90回とかの歴史を刻んできた中では、
それまでの「過去の歴史」を一覧表になんかしたとき、その紙の上には、それぞれの年ゴトの「優勝校」しか載っていない
それ以外は、気になるヒトだけ!?が、あの年の準優勝校は、どこだっけ?って調べたりするぐらいになる

結構「記録」って冷酷なモノ
だから、みんなトップになりたい!って、切磋琢磨する!?

そして、そこは「時間と空間」が、決まりに拠って規定されている世界
それこそ、試合が終われば、ノーサイド!になれる世界
... であれば、イイ汗かいた、以上!?って思える、限定された世の中ではある

けれど、実際のみんなが息(≒生き)ている世界は、もっと複雑ではある
そこには、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が棲んでいる??
しかも、現在は「潔癖症」な風が吹いている...!?

だから現代は、より分かり易い「数字に頼ろう!」としている
また、先立つモノは○ネ!って、何でも、ソコから積み上げ Yoh! とする
だけど、結局 So!考えている内は、ソレの呪縛からは逃れられない

一方では「カ○の亡者」って、他のヒトを誹(そし)る...けれど、今のままでは、
あの!堀ゑ門や、その他の、やり玉にアゲたヤツら!?を越えられない
戻って往くのは「同じ穴」そして、その穴のムジナ化??

確かに、実際の「尺度」としての、数字はある!けれど、
それに、ココロまで支配されていては、一生!?自由には熟(な)れない...

だけど&そして!
その前に「喉元過ぎれば ...」的に、色んなコトを、すぐに忘れ過ぎる??
そんな感性を Do!にかしないとネ

我が民族の 800年の積年の恨み!...ってことを、
常に持ち出す種族も、世の中にはいる!らしい
けれど、其処まで「重い思い」を蓄積するのも Do! Yoh !?な話し

だけど、せめて、この10年の間のに起きた、出来事ぐらい...
あるいは、その間に自分で言った言葉ぐらいは、ちゃんと覚えておいて、
それに「今!」を繋げる&重ねて、次の話しをしないと、他のヒトには信用して貰えない

あまりにも「自分に都合の良いこと」ばかり
そんなことを、みんながツギハギしてやっている!
だから、世の中がおかしくなって行く
結局のトコロ、街がっ鱈(≒間違ったら)、素直にゴメンナサイが、基本のハズ

ある面、時代や情報の流れも、思いの外(≒ソト)よりも、早い!のが現代
だから「判断ミス」って起こり易い(≒みんな怒り易い??)のは、仕方が無い!とも言え無くもナイ

それこそ「ココロの中」って、いまのところ観ることは出来ない
だから、そんな非科学的なことに判断基準を置いてはイケない!って、色んな精密機械を売りたいヒトは言う??

いまのトコロ、具体的かつ正確(≒性格!?)に、それを「計る&測ること」は出来てはいない
かつ(&あるいは)、ソレはすべきでは無い!のかも知れない!?

それこそ、一人一人が「人間として成熟して行ければ!」
「ヒトを見る目」を鍛えて行けば、それで済むこと

ちょっとだけ「ウソ発見器」っていう、汗の数値化!っていう方法
あるいは、被疑者を心理カウンセリングして、
そのとき!に、心神喪失化!?していたか、Do! か?っていうトコロが、
司法の世界での、最大の「白黒の着けドコロ」になっている

その上、裁判員制度も控えている
その前に!刑務所の在り方を含めた、社会における「罪と罰」の有り様
それを支える、司法制度のシステム作りの「在り方」も課題

そして、制度としての「死刑」って有りか無しか?っていう論点

だけど、それは「生と死の狭間」っていうトコロだけ!
それが論点ではなく、それを支えるシステムを含めて、色んな論議をしなければイケてない
単に「ヒトの命を、他の人間が左右できるか?」っていう感情論だけ!
ではなく、それを色んなカタチで支えるシステムの再構築を含めて、論議しなければ為(な)らない

いまの制度では、概念的には、刑期を終えれば「それまでの罪はチャラ」になり、その後は、社会復帰が出来ることになっている
が、結局のところ「再犯率は40%以上」と聞く
その原因を「本人に起因する(=自業自得)」と判断出来る場合もあるだろうが、存外、世間の「色眼鏡」によって、また引き起こされる場合も多いように思われる

たった一度の失敗!
それが「未来永劫」に、その本人に着いて回って仕舞う
それを引き摺る、まわりのヒトのココロの狭さが、同じ事を繰り返えさせてしまう...

ある種「起こってしまったこと!」は、Do!足搔(あが)いても、取り返しは着かない...
そういう意味では、自分の中で、諦める&他のヒトを許すこと...
「諦める」は仏教的であり「許す」はキリスト教的、そんな考え方の融合??

医療の世界でも!
色んな「偶然&必然の積み重ね」によって、命の有り様が決まって行く...
現代は色んな方法で、命が So! 簡単には散らない様にするための、色んな準備は進んで来た

より確実に!を、みんなが求めるから、
どこでもここでも、オンナジ様に、高級な機器を揃えて欲しくなる
だけど、それの費用を払う段になったら、オラ知らねえ!?になる

だけど、色んなコトを判断するための、色んな精密機械や「薬」の値段は高い!
だから、医療費は、高く憑く??

最後は、アタマ割りするしかないから、
アタマ数の少ないトコロでは、一人単価が高くなるのは当たり前

そして、そのコストを、何処(どこ)の何方(どなた)様から、回収するか?(≒化)
そのシステムを Do!構築する化?が、いまの医療の問題の、本質的もの

かつ、その前に!病気にならない Yoh!にするのが、肝要(≠官用)って、アタマの良いヒトたちは、簡単に!?言う
確かに「痛いこと」とか、本人が自覚している「太り過ぎ」は、ストレスが溜まり易いから、基本的には、好くは無いこと

だから、タバコは吸うな!って、あの手この手を考える
例えば、売値の1,000円化とか!
&taspoっていう、必要外(≒論外)な、それこそ面倒なモノを導入する??

または、ネイティブ・スピーカーには通じない
「メタボリック・シンドローム」とかの、ミョーな煙(けむ)を世間にバラ撒く

その上、それを作ったバッカリに!的に、後で自分の首を絞める...
そんなコトに何時かはなる!ための??制度を造る

あるいはそんなことは記憶にゴザイマセンって言えばイインだよっぽい
何となくバラ色っぽい、かつ責任感が感じられない、
マニフェスト(元はラテン語が語源なんだって!?)とかを、たくさん作っちゃう

あの「バブル」を、パソコンや机の上の計算だけで、作ったのは自分たちだ!

っていう反省をしないままで「新しい(≒ときとして)間違い」を作って行くヒト達がいる

やっぱり今の!現実社会の状況の中で、自分たちだけ!「タクシーの居酒屋化」して来たこと
それは、おかしい!って思わない、そんな感性(≒慣性)で、新しい計画書を作っている

そのこと自体がおかしい!
って思えない感覚のヒトたちが、この国の、実際の舵!を執っている事実の危うさ
それをモット、ちゃんと見ていなければいけなかったヒトたちは、
もっともっと自覚してもらわなければ、イケな一緒(いっしょ)??

... けれど、最終的な、色んなモノゴトの結果は「色んな出会い」っていう、偶然の積み重ね
それから「始まり&終わり!」は或る !?
どんなヒトに、何時&何処で!出会い、結果としての「その後 Do! 為ったのか?」が残る

だから、こんな時代に、生まれて仕舞った ...って、諦めろ!ってか?
そうは、問屋が卸さないって、思いたい !! のは、私だけだろうか??

そして、この世界の「骨格」を、変えなければ!
いけないトコロまで来ていると、思えてなら(≒奈良)ない...

Stories of  ほっとあいず