※久々に、このブログに書き込み
ココに描きたいことも、沢山(たくさん)有るけど、それを書く時間が無い!?
それはさて置き
今の時代、色んな能力が必要とされる『仕事』が、星の数ほど増えてしまった
それぞれの分野で、その分野の専門性が要求されている
すでに、その必要とする能力を持っているヒト
その役割に必要な能力を、身に付けてもらうまで教育する
その時間が取れないとき、、おカネ持ちな立場にある所では、
トレードだ、ヘッド・ハンティングだといって、その能力を持ち合わせているヒトを連れて来た
人間は、生まれながらに「万脳ではない」
あるいは、○○大学を卒業した、試験に合格した
だから、出来上がっているとは言えない
それぞれがそれぞれの「現場」で、何らかの方法で、その役割に求められる能力を積み上げて行かなければいけない
それは、すぐに習得が出来るモノ、何10年も掛けないと手に着かないモノまで、千差万別、色んなモノゴトがある
最近は、ヒトの移動が激しいから、選ぶ方には「色んな選択肢がある」
だから、瞬間的にモノゴトを判断することが要求されている
その判断の基準に、みんながしたがっているのが、そのヒトの能力を映す「資格」って言う奴
あるいは「物」であれば、その名前や説明書を含めた、そのモノに書かれた「言葉」
けれど、その「資格」や「言葉や文章」も、何かを映したモノ
言うなれば、あくまでもそのモノ自身ではない!から、大きく括って「ニセ物」である
だから、必ずしも、そのモノの100%を表現しているワケではない
触って診て、吟味してみなければ、本質は理解できない
それなりの「時間」がかかる
そして、この世の中には、色んな「立場」がある
その「立場」にならなければ、出来ないことって沢山ある
けれど、その「立場」に求められる資質を持たないで、それになる者がいる
そして、その立場になりたい、あるいは、その立場でしか出来ないことがあるから、その立場に求められている資質が無い!のに、それになろうとする者がいる ...
世界中で、みんな同じような生活をしていた頃
例えば、この世の社会システムがもっと単純で、殆どのヒトが田畑を耕し、鹿や羊を追い掛けていた頃
そこで求められる「資質」は、基本的に「年輪」を重ねることで習得することが出来るものだった
だから「年齢が高い=偉い」で、その「社会の序列」を造ることが出来た
けれど、色んな分野がある、この複雑な「現代」
その時代では、何年もかけて「手に付けた技術」でも、それを簡単に追い越してしまう、新しい技術が、その分野とは別な処でも生まれる時代になった
だから、それぞれの分野での「完成形はどんなモノ?」あるいは「尺度の持ち方」も、常に見直していかなければならなくなった
また、社会がより複雑になったから、その分野ゴト、あるいは関連する複数の分野があり、その色んな分野の全体を見晴らして、それぞれの分野が機能する様に「マネージメントする能力」が求められている
けれど、その能力は「その分野のエキスパートであること」あるいは、単純に「年を重ねれば習得できる」というものではない
自分の専門分野(その分野のエキスパート化すること)
多くのヒトが、ソレ!を持たなければ、生きてはいけない時代であることは、確か
だけど、基本的に手先が器用で、勤勉な、ニッポン人は、色んなことを乗り越えることは出来るだろう
けれど、現代は、あまりにも色んな分野での「マネージャー」が不足している様に思われる
お飾りだけの「管理職(含む≒名ばかり管理職)」
あるいは、名ばかり「お大臣」が、多過ぎる
モノゴトの判断力
それを「肩書き」のみに頼ってきた、ブランド天国のニッポン
色んなモノゴトを「他人の判断」に頼って来た
だから、こうなった?
いま!「国」を動かすための、指導力
それは、その者の「声の大きさ」でも、お互いの「足の引っ張り合いをすること」でもない
駄目!&無駄!と言う前に、そんなことを乗り越える、
未来を指し示す!能力
今の社会が、ピラミッド型のシステムを必要とするならば、その山のサミットにいるモノは、そこから観える全体を把握していなければならない
けれど、今の時代は、その頂きには、その素養を持たないまま昇ってしまったモノが沢山居過ぎる様に思えてならないのは、私だけ
先ずは、ココロある者から、その立場を去るべし!! ...は極論化!?
自己判断の基準!?
自分の関わる「お山」の裾野、その「現場」が自分のアタマで想像できない
具体的な「映像」が浮かばない様であるなら、その「山」から降りるべし
「○○長」の肩書きを外す可(べし)
... それこそ!日本には「長」になりたがるヒト、役職としての「長」が多過ぎるんだから??