hot_eyes 雑記帳

オフィスに掲載しない「小ネタ」を描く場所

色んな「古地図」に寄せて!

ココ数年の間、温故知新!を実践!? 的に、出来るだけ、訪れた処では、

必ず、神社or 仏閣を訪ねることにしている

それは、「其処で、何かを受け取ること」が出来る!! から...

 

今回の「旅」のテーマは、新しい&古い!の違いを比べる!! だったので、

最新の場所は、どんな処の上に、新しいモノゴトが建(&経)っているの

か?であり、その「地」の昔を知らないまま、上乗せ!? するのは、イタダ

ケナイ!と思ったりもしている

 

差し当たり、「例」として、取り上げたい「地図」をピックアップして、「論」

を進めたい

このページの流れに合わせて、文中に写真を掲載しているが、

※ もっと、大きな写真(このページの下の方) を、ウィンドウ展開?しな

がら、読むと、より深い処まで!行くことが出来る蓮

 

江戸時代後期に、再!「線引き」された、地図

0217_江戸朱引図.jpg

 

より(詳細に)詳しいこと!は、歴史家の皆さんにお願いする!? ことに

して、上記の「黒線」で囲われた処が、本来の「江戸城中」で、その周

りの「朱線」で囲われた処が、いわゆる「江戸」の町!といわれる処で

ある

 

そして、↓この黒門で閉ざされた?「城中」は、武士&お墨付きを受け

た町人でなければ、入れなかった!(と思う)

0218_旧上野の黒門.jpg

 

de 黒門で囲われた処は、いま!は「外堀通り」として埋め立てられた、

場所であり、その昔、物流は「船で運ぶ」が当たり前だったのが、何時

しか?陸送に取って変わられ、今日に至る!になっている

 

だから、商売の元締め?は「物流」であることは確か!である

 

だけど、いま!は、首都高の修復を含めて、この60年の間に造られた

色んな構造物を、如何に?修繕して、永らえさせるのは、それこそ、お上?

な、国土交通省だけが「アタマを抱えて考える」のでは無く、色んな分野で

考えなければ、イケナイ!ことである

 

基!もう一度、古地図のアップ を見ながら、話しを進めたいが...

 

「外堀り」の内側であっても、○で囲われた、「町&「村」は、余白がある

中に描かれている!ということは、結構、ゆったりと『間』のあるカタチで

存在していたことを表わしている

つまり?○の外側は「空き地」だったことが予想される

 

元来?ちょっとした「高台」以外は、江戸時代の前までは、23区の辺り

は湿地帯であり、関東武士が奔り廻っていた頃は、荒地だった模様

 

それは、隅田川&荒川&江戸川&多摩川など、多くの「川」が流れる

中が、地番としては「平」であり、物流やし易いが、治水!をしなければ

使えな「地」を場所を、色んな「用水」を引いて、人が住める用!にした

から、人が集まってくる場所になった!と言えるのであったとさ。

 

そして、そんな「刻の流れ」の中、明治初期の頃と、いま!の比較をして

観る

 

以下の2枚は、上が、いま!の上野周辺であり、下が、戊辰戦争!直前

の「街図」であり、色んな構造が、江戸時代の「ツクリ」の上に成り立って

居る!ことが判る

 

↑上の「朱線」の内側だけでは無く、外側にも「街」が出来、人口集中が

進み、「神社&寺院」を中心に、門前町(商店街)が形成されて、その中

でも寛永寺周辺は、多くの店があったことを表わしている

ちょっと!? 区画整理の過程で、そこに在った店&住んでいたヒトは、どの

様にして移転したの化?が気になるが、それはおいて置くとして、

「江戸」そのモノは、基本!水運の街だったが、徐々にそれが、陸運に

変わり、多くの「堀」が埋められ、「空き地」が無くなる中で、形成されて

来た~ッ!

 

その歴史を置き去りにして、いま!だけを観て、今後を考えては、間違

う!! って思っている

 

上野近辺の「いま!の区割り」を描いた、地図

0217_いまの上野(小).jpg

上野近辺の「江戸時代の区割り」を描いた、地図

0217_江戸の上野(小).jpg

 

一方!江戸を離れて観る!? と、街道っていうモノが形成されて居た...

 

今でこそ?「23区内が、本当の TOKYO」と思われているが、新宿にせ

よ、渋谷にせよ、まして?今回、ちょっとだけ深堀?りした「板橋」は、そ

れこそ「宿場」の1つであり、それは、江戸の外側の「町」でしか無かった

 

但し、板橋は中山道の1番目の「宿場」であったので、栄えた場所であり、

そこに歴史(≒ヒトの営み)があったことは、間違いない

そして「何故?栄えた」のかを、検証すれば、その次!をイメージ出来る

と思っている!

 

中山道の「宿場」を、いま!の地図に、「国分け」して描いたモノ

0223_中山道宿場(小).jpg

 

de 「街道の話し」の続き!

 

或る面、悪名高い?「参勤交代」というシステムは、逆に、農産物の

採れる場所に、「冨」が集中するのを分散させる!という意味合いが

あったから、宿場町が発展し、活!其処ココに「文化」の華開いたと

言えるの賀茂?知れない

 

然か~し、いま!交通手段の「多様化」が、今までは「自分の足」で

歩いた!? その中間を取っ払って、TOKYO から、各地へ!直接、行け

る状況にある

だから、それこそ!それぞれの「現場」は、直接!? そこに関わるヒトを

作って行かなければ、遺憾&如何!と、私は考えている...

 

↑次ページ(作成中)へ、つづく

 ファイルサイズの大きい(文字がワカルYoh!)図

 

江戸時代後期に、再!「線引き」された、地図 (大!)

0217_江戸朱引図(中).jpg

追記: この地図の原本は、東京都公文書館が所蔵しているが、

    その 紹介ページ の写真は、解像度が低いので、↑上の

    写真の方が、字が読める!?

    因みに? 1818 (松浦武四郎が生まれた)年に作成!

 

上野近辺の「いま!の区割り」を描いた、地図 (大!)

0217_いまの上野(中).jpg

上野近辺の「江戸時代の区割り」を描いた、地図 (大!)

0217_江戸の上野(中).jpg

 

中山道の「宿場」を、いま!の地図に、「国分け」して描いたモノ (大!)

0223_中山道宿場(中).jpg