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「ありがたい」と「あたりまえ」

これは、買物代行「アッシーくん」という企画を考えたとき(2005.04)に書いていたものです
ただし、その頃から病気は進行し始め、気力がなくなっていくのです

有り難いと当たり前

ありがたいとあたりまえ「あ」で始まる5文字の2つの言葉

この「ありがたい」と「あたりまえ」という言葉は、『現代』という時代を分析する上で、とても重要なキーワードです
この2つの言葉の混在が、現代を生きる私たちの抱える多くの問題を、引き起こしていると言えるのです

未来に向けて、私たちは、このコンガラカッタ2つの言葉の「私たちの意識の中での混在」を解きほぐし、今までの人間関係、色々なレベルでの「社会」をもう一度見つめ直して、自分の中で再構築していかなければならない時期にきていると思うのです
それを乗り越えなければ、未来はこないと私は思うのです

まず、すべてのことは「有り難いこと」なのです
ただ、それが当たり前のように見える、見たいだけ
それは私たちの結びつき(自分が出来ないこと、またはやらないことを誰かがやってくれている、手分けをすること)が、より広範囲により高度になって、その有り難さが意識出来なくなっただけ

そして、それをお金に置き換えて、交換するということが、より分かり辛くしているだけ

ある人は「人間はお金だけではない」といい、ある人は「お金で買えないモノはない」と言います
確かに、物事を何かに置き換えることが、人間が人間たる所以ですから、社会の進歩は「すべてをお金に置き換えることができるようにする」方向に向かっています

また物質的には、どう考えてみても「いま」は過去よりも満たされているはずです
しかし何故、満たされた気持ちになれないのか、あまりにも「有り難いこと」が「当たり前なこと」に変わっていくペースが早すぎて、本来は、有り難いと感じるべきことも、直ぐに当たり前と思ってしまっているから(小さな子供が「もっと、もっと」と要求しているかのごとく)なのです…

ヒトが『人間』であるということは、何らかの形で「誰かと繋がっている」「関係がある」ということです
それは、生まれたときから死ぬときまで、誰とも全く関わりのないまま存在できないということです

始めからして、突然に出現するのではなく、2つの命の間に生まれてくる
この2つの命が出会うことすら、有り難いことなのです

アフリカの地で誕生したと言われる「ヒト」という種は、少しずつ、最小の単位では「家族」あるいはそれ以上の集団で、「地球全体」に進出して行ったのです

有り難い出会いを繰り返しながら、私たちもその末裔として、この地域に存在しているのです

若い人の間で「有り得ない」という言葉が、流行っているようです
これは微妙なニュアンスですが、「有り難い」と「当り前」の中間を表す言葉のように思われます

時として、若い感性が「真理」を感じ取ることがあるのです

だから新鮮な気持ちで、常に「有り難い」を意識して生きて行きたいと思います

 


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