hot_eyes 雑記帳

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嘘(ウソ)


口から出た虚(むなし)

「言葉」そのものは、実体がない
だから、言葉そのものは元来「ニセモノ」である

パソコンの世界も、大きな括りで言えば元来「ニセモノ」の世界

現代は、コンピュータに「多くのことをコピーしている」から、現実っぽく見えているに過ぎない
その世界に飲み込まれないだけの「強い意志」を持てば、助けてくれるだけ

言葉はそれを使う、つまり、色んな組み合わせで「色々な想像」をすることが出来る
「言葉遊び」で詩や小説を創り、その世界の中だけで生きていくことすら出来る
子どもたちが「ゲームの世界」にハマってしまうのも、自分でその世界をコントロール出来るから

だけど「言葉そのものはフィクションである」ことを、常に肝に銘じながら、それを使えばイイ

そして「言葉」そのものはニセ物でも、それを発した者とそれを聞いた者が「同じ現実」を共有できれば、「真実」は正しく伝達され世界が繋がっていく
その積み重ねで、人間の世界は出来ている...はず

なるべく、お互いに「真実で繋がっている世界」に住みたいもの
けれど、ヒトのココロは気まぐれである

ときに「ウソ」を言う

それは、頭の中と言った言葉が違う「言い間違い」や、主語と述語が合っていない等の「言い方の間違い」の場合もある
その場合は、話し手と受け手の間の「信頼関係」で乗り越えられる

けれど、意図して「騙そう」として言う言葉がある
それが、本当の「嘘」

あるいは、ちょっと大げさに「脚色していう言葉」もある
最初は、他愛も無い話しでも、ときに大ごとになってしまうこともある
そして「自分を守るため」の場合もある

また、聞く方が、意図的に「重箱のスミ」を突くこともある
「論理の展開の不備」や「ちょっとした言い間違い」などを論(あげつら)うときもある
「最初にウソつき!」ありきな会話、話し合い...

それらの積み重ねで、どことなく「お互いを信じられない」世界になっているのが、

『現代』という世界

学校でも「知らないヒトは信じるな」と教えている
人生の始まりに「信じるな!」である

最初は、出会いはすべて「誰でも他人」

実の親子ですら、最初から、お互いのすべてを知っているワケではない
日頃の積み重ねが、より信じることの出来る関係になっているというだけである
それは「信じ合おう」とするココロがその底辺に流れているはず
「家族とはそう在りたいもの」だから
...
それが『愛』

しかし、その「親子関係」すらオカシクなっている
最近、増えている「親族殺人」はそれの現われ
「あい」を見失った不安定なココロが向かった先に「身内がいた」
それは、それぞれのヒトの「世界」がより狭くなってしまっていることの表れでもある

空(むな)しいの世界

それがどんどん広がりつつあるのも確か
それは「ラクして生きたい」の裏返し

このヒトの世は「利用できるものがたくさんある」から、自分で汗をしなくても、上手く嘘をつくことが出来れば、生きて行ける処になっている
如何に「それらしくコジツケテ、ラクして儲けるか?」

けれど、そうやって手に入れたモノは、それ自体が「空しいモノ」だから、無限に求めたくなる
それではココロは満たされない

嘘はウソを呼び続ける...

また集めたモノの重さに耐えきれなくなるときもある

一見、物理的に「満たされているはず」のヒトが、一人の部屋に戻って、人知れず「ラヴ・ソング」に涙する...

求めているものは、本当は「すでにそこにある」

目の前にある

『あいたい!』の対象は、「合い」「会い」「胥」の中に存在する『愛』
ヒトの根源的な「欲しくて求めているもの」は、それである

それは「信じるココロ」
それ「だけ」は、誰も与えてはくれない
自分の中に見つけるもの

それは、自分のココロの中にすでにある...

ただ自分が変われば良いだけ



補足/

その他に「虚言癖」がある
俗に言う「オオカミ少年」の場合

あまりにも現実と離れ過ぎた話しをすれば、信じてもらえない
ちょっと自分の世界に居過ぎると起こってしまうこともある

また現実社会から逃避したいと思っている場合に、ツイツイ言ってしまうこともある
これは「病気」の一つで、原因が分かれば、消えてなくなるもの

けれど、そのヒトにしか気づかないことがある
「オオカミ少年の言葉」を信じなかったばかりに、消えて行った街は確かにある

時空は繋がっているのだから...