諦(あきら)める
一見「悟り」に似た風情
けれど「ありの儘を受け入れる」というところまでは同じでも、ココロのあり様がまったく違う
「悟り」には、現実を冷静に受け止め、その中に「必然という道」を見つけ出そうとすること
あるいは「物事の理」を探し続けること
人間は生き物として1000年の時を刻めない
あるいは1時間に 100kmの距離を走れないのは道理
それを求めること自体が、最初から「無理」な話し
「諦め」も「悟り」も
今のところ、どちらも人間にしかできないこと
他の生き物は「死」を迎えるその時まで、必死に生きている
昆虫は、足がもげようと、相手がどんなに大きかろうと戦い続けようとする
鳥は、羽根が折れようと羽ばたこうとする
魚は釣り上げられても、空気の中を泳ごうとする
「諦め」とは、そんな姿勢すら投げ捨てること
単に、自分の未来に背を向けて、何もしないだけ
そんなココロには、明日は訪れはない
良い運命は、頑張ったヒトへのご褒美
スポーツの「ゲイン・ライン」は、常に前を向いて進もうとする人間が渡れるもの
そして、誰かが渡ったラインは、次に渡るものにも容易いなものになる
一見、誰にも破られないと思われた世界記録は誰かが破ったあと、その記録を超える選手がたくさん現れるが如く
記憶に残る試合は、両者が最後まで必死になってガンバッた試合である
ルールとは、それを演出するための「定め」
ルールが、最初から結果の見えたもの、どちらか一方が「一人勝ち」で終わるものであれば、そのスポーツは衰退する
ライバルの切磋琢磨があってこその「道すじ」
「愚か者の結論」は、すべてが終わってから「結果としてついてくる」ものにしなければならない
from K-tai