hot_eyes 雑記帳

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昔やっていた仕事の上司のあだ名「アバウト」

いち時期、流行った似たような言葉で「ファジー」という言葉もあった
エアコンなどの家電製品に「マイコン(懐かしいね)制御」という、細かい設定を製品自身が行ってくれるという製品が出始めたときに、もてはやされた名称

このときの「ファジー」とは、自動で微妙な設定がなされる、という意味
※本当は「F分の1の揺らぎ」という科学用語が出どころで、世の中はその確率で微妙に揺らいでいるという意味

その後、それが当たり前になってしまったから、別段「大きな声」で宣伝しなくても良くなった
「今さらネ」っていうこと
どの分野でも「技術革新」は、常に続いているワケで、世の中は確実に「便利になっている」のは確か
言葉も流行り廃(すた)りも起っている...

夢物語だった「ロボット」たちは、アトムのように具体的な「ヒトの形」ではないにせよ、確実に色々な場所で私たちの生活をサポートしてくれている
私たちゃあ、より良い近代社会に住んでいることは確か

だけど、人間の方はどうか?というと、どうかな!?


話し戻って「アバウト」

家電製品の「ファジー」の場合は、マイコンさんが「より状況に合わせて、設定を決めてくれた」
ファジーという状況、常に「微妙な」状況の中で、それにあったより良い設定を、機械が決めてくれた
機械が人間に換わって、何かを決めてくれることは、人間にとっては「樂チン」

だけど、人間の「アバウト」の場合は、いつまでも何も決めないことだった

誰か(それは複数でも)が、何かを決定しなければならない場面で、その決定権を持っている立場でも「白黒を付けない」
言うなれば「グズグズして」いて、自分の役割を果たさない...
どことなく、他人任せ

いま色んなヒトと接して来て思うに、特に「ある一定の世代に」その傾向が強いように感じている
ある種、私には理解できない感覚ではあるが、最近やっと、その理由が何となく分かってきた

それは、第二次世界大戦のまっただ中で生まれた世代
つまり昭和2桁の15~20年の間、その前後を含めた世代の人びとに、その傾向が強いように思われる

この世代は一番、敗戦後の「価値観の大きな転換」の影響をもろに受けた世代
まわりのヒトが「昨日まで信じていたこと」が、昭和20年(1945年)8月15日に、大きく変わって「それは違う!」と言われたときに、まだ自己形成の真っ最中にあった世代

ある種「信じるモノゴト」を見失った世代

良い悪いは別にして、その前に生まれたのであれば親から受け継いだ価値観、その後であれば学校教育で受けた価値観を獲得しているはず
昭和ひと桁の世代であれば、その価値観の転換を「どこが変更」されたかを、何となくでも理解することはできた
けれど「芯あるいは信」が出来上がる途上のヒトには、その変更は理解できないし、ある種「持たないまま」育ってしまった...

状況はそれどころではないこともあった
ココロの形成よりも、モノを作るという「目に見えること」が優先されていた時代

時代の流れの中で、その世代がペーペーや中間管理職の頃には、その弊害は表面には現れては来ない
しかも、その前の世代が長生きして「一生現役」とか言ってガンバッちゃったから、弊害の表面化はますます遅れていた
ちょっとだけ、上司からは「何だ?」と言われ、部下からは「使えない上司...」と思われていた
世間では、色々な関係性が広がって、調整役の「中間管理職の悲哀」も生まれていたし...
状況は「藪(やぶ)の中」

しかし、ここ数年の間、その世代が60才前後になり、そろぞれの分野でトップを張っている

このことが1人2人であれば、個人の資質の問題あるいは責任で済むが、大きな傾向であれば「具体的に理由は解りづらい」し、また逆に「大問題」でもある
また一方では、この世代が一番「責任」という言葉に敏感でもあるし、色んな分野でそこここに「責任者を出せ!」の張り紙が貼ってあるように思われる

いまの世の中の「偽装問題」の根源を、60年前の敗戦の影響に、ほっとあいずは見ている
「確かなモノがなければ、取り繕えば良い」という思い、「今を乗り越えれば、それでイイ」...

ある種、刹那的に物事を乗り越えてしまえばイイさ
あなたと私は別、売ってしまえば、あとは買った方の責任
モノを渡してしまったら、私の責任はなくなるんだよ?
結局、世の中は「不確実性の時代」で、明日はどうなるか解らないでしょ!?

そうやって考えてしまうのは、
あまりにも大きな価値観の転換があった影響

だけど、理由が分かれば「対策」は出来る
失ったモノをもう一度獲得するのは、相当な労力を必要とするから、今からでは手遅れ!?
だから、その前後の世代でサポートするのが、より正解に近い

皆んなで、手を繋いで乗り越えれば良い
「人類みな兄弟」なのだから...

いま一緒に生きている人間の違いは「
ちょっとだけ」早く生まれたか遅く生まれたかの違い
「人間」という種が生まれた約200万年の歴史の中では、100年なんでアッというまさ?
なんでいうと「お偉いヒト」には、聞こえないかな!?

それは「アバウト」の範疇の中!?