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「数値目標」のワナ


「数字」って、解り易いよね

ある面「言葉」より、もっと明確な言語とも言える
1と2は、確実に違うし、2は1+1とイコールであるとか...
一番「進化した」コミュニケーション・ツールかもしれない

「多数決」なんかも、一人ひとりを「1」に置き換えて「数値がちょっとでも、大きい方が勝ち」
「アイコ」の時は、もう一回とか、議長さんの票が入ってきたりする

『整数だけの世界』であれば、とても解り易い


ちょっとだけ、哲学っぽい話し/
私が学生だったころ「記号論」っていう理論が持て囃されていた

世界あるいは人間社会は、すべて「記号で出来ている」ってヤツ
あるいは、すべての事象は、記号に置き換えることが出来るって話し

その考え方からすると「1から無限大まである」数字の中に、すべての事象を押し込めてしまえば、すべてを「記号化」することが出来る!...って思えるよね
数字の桁は「∞(無限大)」だから、桁数を間違えなければ、誰にでも「違いは解る」

だから数字って偉い!!

「本当の神様は、数字である」とかいうヒトがいたとかいないとか??
※この部分は「曖昧な情報」です


話し戻って/

ひと頃、みんなが反対した「国民みな背番号」制度
人間はみんな違うんだから、簡単に「数字に置き換えるのは失礼千万!!」と言って、みんな反対した
かつ、何となく「順番」を付けられるような気がしたことも、その原因だった

だけど、

大きな声では誰も言わないから明確には眼には見えないけど、その制度は金融業界あるいは携帯電話の世界で、すでに確立されている
一人ひとりに付けた番号がしょっちゅう変わられたらイヤだから、番号を変えないで会社だけを変えることが出来る

つまり、それぞれの世界で「みんな背番号」が付いている

また現在の年金制度は、それとは「違う体系の数値」に置き換えられている
だから、ある一時期以降からのデータはちゃんとしている

たぶん、独立して存在しているように見えるけれど、それらの多くの世界が目の見えないところで、お互いに、それらの整合性を取っている

ある面「繋がっている」

そして今から思うと、ある面「個人の存在を数字へ置き換えする」作業をしなかったばかりに、年金の問題が起こっている...

「コンピュータでのデータの管理」を目指した社会保険庁

自分たちでやりたくない(その部分がたぶんにあった)から「入力作業」を、大量のアルバイトを使ってやった
バイトのヒトだって「1データ幾ら」で雇われていたから、数をこなさなければならない
いちいち「細かくチェック」なんかしないで、作業は進んでいった...

「汚い字」「読めない数字」を入力しなければならないから、それこそ「テキトウに入力」していった

だから「数字が丸い、5・10日」で区切られている
名前も読めない字や、分らない漢字は自分の知人の字を充てた
月末だから「9月31日」なんて入力した

その頃のコンピュータは、今のように「間違っている!」って言ってくれないから、あり得ない数値を入力してもOKだった...
その上、ある面「証拠があると、後で面倒臭い」から、捨てっちゃった...が止めを刺した
中には、念を入れて「燃やしたヤツ」もいる

だから、その前に「認識番号」をそれぞれに振ってあれば、もっと間違いは少なかった
もっと丁寧にその作業をやっておけば良かった

そして、誰かがもっと責任を持って、ことに当たれば起きなかったこと
...と思っても、後のマツリかもしれない

それこそ、誰の責任???

何だかな~な状況 Fire!!!!!
(こんな私に誰がした)


そして、現在の状況/

いま「マニフェスト」や「○○行動計画」など色んな分野で、数字が大手を振って威張っている
何かの目標を立てるとき「数値」を掲げないと、信じてもらえない

確かに、物事を評価するのに、数値化すると「○か×か」が分り易い
だけど、それはジャッジする立場からだけの目線

けれど「待って欲しい」と、数字の方から言ってきている

それは、インドで発見された「0(ゼロ)の概念」と「円周率」という存在が、注意を発している

まず「0」は特別な存在/
それは、何かが「ある」つまり「0」じゃない場合は、足したり引いたり掛けたり割ったりすると「違い」が現れるが、「0」は不動の存在
そして「0」からは、何も生まれては来ない
数式上イコールの反対側にいたりするが、それはイコールの向こうで「引き算」があったからで、最初からそこにはいない!?
あるいは、そこに別のイコールな存在(同じもの)が生まれて、「0」の前のイコールが必要なくなったことを意味する

煮ても焼いても食えないヤツ
「0」は、そんな「数値」である

次に「円周率」という存在/
それは、いつまでたっても「キリ」のない数値
桁数を無視した、永遠に続く数字の嵐
それこそ「割り切れない」存在

常にそんな「存在」あるいは「アイマイさ」を、数字が持っていることを無視して、物事を判断しては、いつか来た道の繰り返しになる

数値を「100%」信じてはいけない!!
あるいは、すべてを「任せてはいけない」

そして「分り易い」ッポイから、面倒臭いお化けが隠れやすいから、注意しよう!!


変な話し、「0」も「円周率」も、両方とも「円」に関わる存在

コンピュータの世界は「1と0の世界」ではあるが、それは始めに「1」ありきで、そこから始まっている
コンピュータは、本当の「0」を知らない存在である

それを知っているのは人間であり、ある面、彼らに指示を出す人間が「0」や「円周率」を面倒がってはいけないのである

って書いて来たけど
....アタマの中では「分っている」んだけど、言葉にすると説得力なくなるんだよね、この「話し」って

言葉もまた「ある」から始まる存在だから...
言葉では「説明」できないんだよね

「禅問答」が語りたい本当のことと、一緒で