hot_eyes 雑記帳

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肩書き

やっぱり「名前」だけで勝負するほど、それぞれの個々の名前は知られてはいない

昔の日本、武士の世界では、出世魚のように、年齢を重ねるごと、色んな節目
に「名前」が変わっていった
それは、そのヒトの役割分担が変わったことを表しており、その名前を背負うことで、そのヒトの役割も変わっていった
徳川家康だって、子どもの頃は菊千代だったし、豊臣秀吉だって「さる」だった!?

名前があまりにも変わり過ぎて、アンタは誰?なこと、色んな名前で史実に登場して、日本史を覚える、あるいはテストの回答で、どっちの名前で登場したっけ?と、人心を惑わすヤツもいたりする

また「おおだな」と言われる商屋「越後屋」とか「加賀屋」とか「三越」とかでも、初代○兵衛とか、○○衛門とかがあった
その「道」の伝統を守ってきた家系には、その家を代表する名前があり、その名前を継ぐ儀式があったりする

それが今でも残っているのが、歌舞伎や相撲の世界

歌舞伎では「市川團十郎」や「坂田藤十郎」などは、西と東の「横綱」級の名前であり、今の團十郎も藤十郎もその前に色んな名前を名乗っていた

ちょっとゴチャゴチャしちゃったけど「若の(乃)花」なんかも歴史を刻もうとしたし、「琴」とか「栃」「朝」とか、その部屋の代表した名前がある
名前ひとつで、そのヒトが何者か?がわかるようになっている

ある種、芸能人の名前も有名になれば「看板」になる
まして「裕ちゃん」「欣ちゃん」「サブちゃん」&「武ちゃん」なんていうニックネームだけで、その本人が分かる場合もある
だから、改めて「本名」を言われると、今の自分とのキャップが大きいヒトは、本名をヒタ隠しにしたりする
また、マルチ・タレントなヒトは、それぞれの分野での「ネーム」を使い分けしたりする

現代は、あまりにも「顔と名前」が違い過ぎる!?場合以外は、誰もが一生「同じ名前」を背負っていく
あまりコロコロ名前を変えられては、戸籍係や社会保険庁が大変
まして、1人のヒトが名前を使い分けていて2人分の「課税」なんかして、クレームをつけられるのは「マッピラ御免」と思っている!?

だから、それぞれの世界なり社会なりには、名前以外の「肩書き」が必要になる
また、それぞれの社会システムがスムーズに動いていくためには、それぞれの肩書きを背負ったヒトが、その「立場」や「ブンタン」に相応しい機能を働かせなければ、可笑しなことになる
その「肩書き」にはどんな役割があるのか、それぞれが常に意識して、それを果たさなければ「行けてない」のが現代
ちょっと複雑になり過ぎているのは確かではあるが...

けれど本来「肩書き」は、そのヒトそのモノではない

あくまでも「何をブンタンしているか?」を現しているに過ぎない
もっと遡(さかのぼ)れば「名前」すらも、そのヒトそのモノではなかった
逆に、その名前に相応しい自分を作れたヒトが「何代目○○は凄かった!」と言われ、そういう人間が多くいた家系が、その後の伝統を作っていく...

名前に胡坐(あぐら)
をかくヒトが何処かで紛れ込んでいれば、その家系は滅亡した...はず!?
どこかの時点で軌道修正、あるいは、それらの不届き者の歴史も「経験として昇華」して蓄積することで、今日の伝統ある世界にすることができた


現代は、色々なモノ事にも「名前」がある
お菓子や食品類なんかは、変った名前のオンパレード

ちょっと「キャッチ・コピー」が長すぎなキライがあるモノ
アンタは結局、何もの?な名前のモノが増えて来ていることも確か...

一方、ここのところ問題になっている中国製ギョウザも、COOP(生活協同組合)がJT(日本たばこ)に依頼して中国で製造し輸入していたもの
その餃子(ギョウザ)を取り扱ったところはそれぞれ、ブランドとして「社会的信用度の高い」名前のところ

だけど、腹を壊したヒトが出てしまった
実際には、トラブルは起こってしまった

「誰が一番悪い!」の根本的な原因究明は必要ではあるが、それと同時に「良くないことが起こった」
その事実をそれぞれの立場で真摯に受け止めて、組織体として自分たちも改善して行かなければ、いつかは滅亡...
な道が待っている
また「ブランドの信用」が地に落ちそうになっている...
誰をどこを信用すればイイ!?

他方「風評被害」があるのが現代

だけど、それにも増して自分たちを磨くこと
困ったヒトが実際いたワケだから迅速な「対処療法」も必要ではあるが、根本的に「ブランドにアグラ」はなかったか?の自己確認が必要

それは、他のどんな世界、どんな個人にも通じる「モノゴトの理」
目先の「利」を追っかけるだけでは、地球は周って行かなくなっている

その「理」をワキマエることは、名前とは関係ないところで行われること
常に「自分を磨き続けて行くこと」が、その名前とは関係なく、自分の中に蓄積されていき「本来の自己」とイコールになっていく...hazu

それもまた物語として語り継がれて「信じる」を生み出して行く
そして、そんな「信じ合える背中」が繋がっていれば、この世はもっと生き易い世界になって行く...