確かに、人のココロは、この2つの間を揺れ動いている
言うなれば、自分の「唯我独尊」をすべてに優先して通したい気持ちと、決められたルールを守らなければイケないよナと考えていること
ここの処の日本の状況は「本音」と言われる方が優勢
みんなが「そんなタテマエを言わないで、本音は?」って言われて、自分にとって「楽な方ラクな方なこと」を言わされて、それを証拠に、身動きが取れなくなっている
あるいは、ちょっとだけ「ワル」っぽく見せたいから、タテマエは歯に衣を着せているように思えてしまう...
本音トーク/
お互いに、自分の我が儘(まま)を言い合うこと
「言い合うだけ」だから、お互い「あぁソウ」で終わってしまい、何んの積み重ねもなく、話しは次のネタに進んでいく…
ある種、言いっ放しだから、他愛もないモノ
あるいは、自分を曲げるっていうことは「タテマエ」の分野だから、何時までも言葉が交差しないで、平行線の上を進んで行くもの
だけど、それなりに社会的な立場のあるヒトの場合は、その口車に乗ってしまい、ポロッといった言葉ジリを取られて「やっぱり!」とか言われて、足元を掬われてしまうこともある
だから、ソウイチローには、気を付けろ!?
タテマエ/
何かを建てる前に、みんなで共有するための「合い言葉」
だけど、その多くが「伝統とか、道徳とか」が代表することだから、それを「建てた」ときに関係者だったヒトは殆どいない
だから、何となく、みんな当事者意識が薄くなってしまう
故に、身近な処にある「本音」が自分の思いだと思ってしまう
歌の世界での最初の「本音曲」と言われたモノ
「傘がない」
井上陽水が、雨の日に傘がないと困る!」って歌った
他愛もない曲
実際、誰にとっても「雨の日に傘がないと、お出かけ出来ない」から、困ること
陽水はシンガーゾングライターだから、それに曲を付けて歌っただけ
だけど、当時のオトナなヒトたちに「自分のことばっか、歌ってんじゃねえ!」と批難を受けた
その頃の新しい潮流である、フォークソングやニューミュージックと言われたジャンルは、みんな「自分勝手」と括られた
その、ちょっと前までは「歌声喫茶」なんかで、みんな頑張ろう!ってみんなで声を合わせて歌っていたから、尚更(なおさら)だった
その後、テレビ出演を拒んでいた陽水がテレビに登場!
「お元気ですか?」
って、NISSANの新車のコマーシャルでやったら、キャラが違うだろう!って、音声を消されて口パクでオンエアされた
なんで、陽水がヒトのこと気にしちゃいけないワケ!?
中には、あの鼻声で言われても「元気に力が入らなくて、大きなお世話で困る!」って思ったヒトがあっても、案外「馴れ」ってものがあるから、シンガーの命である「声」を消すのは、何だったのだろう?
別に陽水が「自分は我が儘である」って宣言したワケでもないから、歌もセリフもどっちも陽水の気持ちだったと思う
誰だって「傘がないのは困る」のは解るし、たまには誰かに「元気?」って聞くのも有りだと思う
それはそれ、これはこれ
「陽水はこう言うヤツで、こうあるべき」って勝手に決めていたのは、当時のオトナと言われたヒトたち
どっちも、本音であり、片意地張ってタテマエを言った覚えはないはず
だけど今はもっと進んで!?いて、誰かに「元気?」って聞いたら、
そのヒトはあなたにとってお客さんだから大事なんでしょ?
病気になられたら困るんでしょ?
なんて突っ込みを入れたくってショウガナクなっているヒトがたくさん居る!ように思えてならない
誰もが、何でもかんでも自分にとって「損か得か」の尺度でしかモノ事を考えていないよネって、そんな「本音トーク」に持ち込もうとしているように思えてならない...
そうやってモノ事を混ぜっ返しているだけ!?の、
それの何が面白い!?って思わないのかな
人間関係って、もっと単純でいいんだと思う
「元気?」って聞かれたら、ちょっと笑って「ウン」とかでイイと思う
横ヤリや不要な突っ込みは、もう要らない
一方では、最近のJポップの世界
意外と「人生の応援歌」っぽい歌詞の曲が増えている
ひと頃は、演歌業界の専売特許だった分野
渡る世間はオニばかり
みんな意地悪ばっかりで、人生は苦しみの積み重ね
だけど、負けずに頑張って行こう...が演歌の基本
いまは、よくよく歌詞を聞くと、Jポップの多くがフレーフレー状態
何となく、元気になれる
誰かが言った
歌は世につれ、世は歌につれ...
今までの目先だけの「本音」ばかりじゃなくて、新しい「建て前」の予感がそこには「有る」
新しい歌たちが、時代をリードする??かもね