もの事には2つの側面がある
人間には「現実&想像」の、2つの世界
むかし、この2つを相い対立するものと考えた「二元論」というものがあり、現実の世界だけに走ったモノは「現実主義」となり、想像の世界だけに走ったものは「原理主義」になった
どっちが「エライか?」と考えたから、そうなった
一方では科学の世界では「相対性理論」が生まれている
だけど、それを「相対すること」って訳したから、解らなくなった
それは対立するのではなく「両方とも立っていると、薬(やく)するべきであった」のである
相対するのではなく、両方あった、あるいはある
「私の視点から見る」と「あなたからの視点から見る」と、っていうふうに「視点には2つ」があるよ
...っていうことの発見!!
どっちか「だけ」が偉い(優位である)ではなく、両方あるから、それを「知れ」ということ
無知じゃなくなった
この「Story of 起承転結」と「Story of 花鳥風月」は、将棋の駒の裏表、あるいは囲碁の白黒の石と同じ
あるいは、オセロの駒は、そのものが「白黒」を持っている...
囲碁は「白と黒」があるから面白い
全部が「白」だったり、どれもこれも「黒」だったら、どうやって「白黒」着けるか!?分らないことになってしまう
将棋も「成り金」という「歩がひっくり返ること」があるから、そこで色んな展開が生まれて、面白い
ときに、実際の「成り金」は何百年もの歴史が掛かるモノゴトを一代で成そうとするから、微妙に「キラビヤか」になるんで、目にシミル
...は置いておいて
もし、人間が「想像する世界、その力」を持っていなければ、新しい創造は生まれては来なかった
自分にはそんな能力がある!ことを、知らなければ、未だに、棒に石を括りつけて走り回っているか、果物の樹や実のなる草の前に佇んでいただろう
そして、言葉や文字で、次の世代に「今までのストーリー」を伝承することをしなければ、突然変異的に表れる一代限りの「金ピカ」野郎が、ちょっと世の中を変えることがあっても、それも続かないから、元の黙阿弥な世界にみんないることになっただろう
現実を、想像しながら変えて行く
現実があるから、想像できる
だけど、人間は「色々な風」を持っている
だから、人々はヒトの間に、その「Story of 風」を繋げることで、前へ進んできた
現実の世界での理想的な「構え」が「起承転結」で、その「造り」を環(まわ)すこと
想像の世界での理想的な「カタチ」が「花鳥風月」で、色んなことが光り輝いていること
世界は「輪&和&話」に向かっている...
ちょっと「想像の世界」を共有するのは難しいから、より現実に近いところを題材に、まず「ストーリー」として描くことにした
すでに、別のところにも「下書き」と「ちょっとだけ糸口」を書いてあるので、参考にして頂きたい
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「始まり」が無ければ、終わりはない
すべては、新しい始まりを内包しながら、終わりへと向かって行く
色んなものは、何時かは「朽ち果てる」
何時かは「土」に還るから、次の新しい芽が生まれて来れる
「ゴールが見えないから」と言って、「結果は解っている」からと言って、始めなければ始まらない!?
まずは、チャンと「始めなければ」いけない
色んなことが、ボーダーレスになっている、この世の中
自分で!スタート・ラインを引かなければ、ケジメが無くなって行く
単なるカオス、アナーキーな世界
始まりとは「過去への感謝の思い」から始まる
日本では、4月から「新しい年度」が始まる
一斉(いっせ)の「セ」で始めれば良い
「新しいか?古いか?」は、自分で決めれば良い
それは、ココロのベクトルの問題
いま世界は「マネー・ゲーム」という回すだけで、アタカも何かが生まれて来ているような「偽(ギ)」でオカシクなっている
「バブルの崩壊」のとき、日本は「それだけの価値を生み出せない土地に、おカネを注ぎ込んで」弾かせた
お金は「転がす」だけでは、何も生まれては来ない
また、大きなシステムを造るためには、ひと処にお金を集めないと出来ないから、集めるのである
何かを生み出されたから、金が増える
それは、一人ひとりの「手」で何かを生み出すところから始まる
それが循環しているから、全体で「お金」というものが増えるのである
さあ、みんなで、それぞれの「道」で良いから、前へ向かって、歩き始めよう!!