hot_eyes 雑記帳

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あみだクジ


あみだババー」と言えば、サンちゃんこと、明石家さんまの創ったキャラクター

♪あみだクジ~、あみだクジ~には、案外、すでに節が付いている??
また、さんまのまんまは、徹子の部屋の陰に隠れている!?けど、トーク番組の中の長寿番組


そして、そのお相手のビートたけしは、北野武で映画を創っている
おまけの様に出てきた感のある?
兄者の北野大も、最近はコメンテーターとして頑張っている模様...は余談

で、あみだくじ

室町時代からあるらしい、結果に文句を言っちゃダメ!な、くじ引きの形式
昔は、放射線状に「線やヒモ」を引っ張ったから、その風情が「阿弥陀佛の後光」に似ていた!と付いた名前らしい

だけど、参加するヒトには必ず「1本の線」の先の結果が着いているから、とっても平等なやり方
どちらかと言うと、見た目の形式よりも、そのシステムがとっても「阿弥陀」な感じ

今の「あみだクジ」は、まず参加表明をした、手を挙げたヒトの人数分の線を、歌いながら引く
次に、好きなだけ!?の「横線」を引く

ただし、あまり調子に乗って、たくさん線を引くと、結果が出るまで時間が掛るから、気をつけよう !!
状況を見ながら、程ほどに線を引くのが、エチケット

次に「出口」の方に、当たりハズレ、順番や景品の名前を描く

そして、モンクなし、時間ですよ!
で、一人づつ「入口」の方から、歌いながら線を辿って行く

途中でコースを間違えない限り、確実に「全員の一人づつ、1つの結果」が訪れる...
1人に2つの結果、あるいは同じ結果に2人は、有り得ない!?


その図柄、あるいは風情
は、人生に似ている

最後にあるものは、一人に1つづつ、みんなに同じように、いくら「要らない!」って言っても着いてくる
それは、この世に手を挙げて!? 生まれて来た以上、避けては通れない「阿弥陀の久慈」上の出来事??

私は選ばれて来た...

確かに「誰もがみんな!」それぞれに、その前の色んな物語の終わり、あるいは先頭を、
阿弥陀くじの上を辿るが如くに、歩いている...
色んな意味の繋がりの先に「今日」
がある!

確かに、生まれてきたことを「誰かを押しのけた!?」と、生まれいづる悩みに耽るのもイイだろう
それを「罪」と言ったのは、キリスト教だったりするから、それを真面目に考えちゃうヒトは、本気(と書いてマジ!?)に悩んじゃう...

それを拡大解釈して「選ばれた民族意識」を持っている!って、ユダヤ教を批難したこともあるし、未だに他のヒトを非難したいと思っているヒトはたくさんいる
だから、色んなストーリーが世界中で、未(今)だに書かれている...

だけど、考え方、あるいはストレスの場所を変える

例えば、結果として
「他のヒトを押し退けた」のだから、その分、自分はこの人生を頑張らにゃ如何(いかん)!って考えてみる
ワレ先!に、ノアの箱舟に乗ったんじゃなく、気がついたら乗っていた??
だけど、乗れなかったヒトはいた!

だから、その分も精一杯に生きてみる...
だから自分を殺(あや)めちゃ駄目!って考える

人生の「amida-kuji の端を持ってしまった?」ことは、それ自体は必然にも似た偶然
誰かに「競争の後の事実!」と言われていることも、角度を変えれば、違った風景になる

ここで問題です

じゃあ、書いてあったことは間違っているのか?っていうことになる
だから、書き直さなければ行けない...って思ってしまう
だけど、そう思うのも「おっちょこ、ちょい」な考え

それを、解釈する立場の者が、そこに書かれたことを、自分勝手に解釈した
あるいは、自分だけに都合が良いように「利」用したことに、間違いがある
しかも、大きな声で、それを言っちゃったから、始末が悪かった...

だけど、それなら阿弥陀佛がいる!から、幸せってもんじゃない!?
っていうことと、まったく同じこと

明治時代の初期、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)っていう嵐が、日本中を吹き荒れた...
それまで、そして今でも「仏教国」で通っているニッポンに、そんな風が吹いていた

本当は、その矛先を「仏像さん」達に向けるのではなく、その教えを利用した者たちに向けるべきだった
確かに、暴力はダメ!
だけど、分からず屋にはちょっとは痛い目にあって貰わなければいけなかった
仏像さん達じゃなくて...

それの先頭を切ったのは、名もない民衆ってやつ

だから、実際に誰がやった、誰が号令を掛けたか?は、実際のところ解らない
敢えて言うなれば、そのときに妙に欧米化ライズ!?したかったヒト達が書いた、太政官布告の「神仏分離令」に問題があったと言える
震源地は其処!だろうけど、実際に手を下したのは、あくまでも民衆っていう「みんな」だった

そして、それまでの時代の流れの中で、抑制されたヒトがいたことにも問題があった...

そのときの空気感と「たった今!」の空気がとっても似ている
そんな様な気がするのは、私だけ??

75才で線を引く & この世は「競争」で成り立っている

それって、神さまは偉くて!?仏サマは偉くない?っぽい線の引き方
遊びでやれば、楽しい「笑ったら負けヨ」な睨めっこ
とかに似ているんじゃ、有ーりませんか?

日本には、本来「神も仏も、同じ地平線の上に仲良く」していた...

敢えて、そこに線を引いたことと、それに託(かこつ)けて、要らない暴走をした者が悪い
だけど、やっぱり最後は「あみだクジ」の上を、みんな歩いている...

そんな解釈も出来る...観世音(かもよん)!?