何時から?(シリーズ2)
「旅」が、旅行ガイドやミシュランのガイドブック(個人)!?
あるいは、テレビ番組の「画像の中」と同じ
そんな背景の中に、自分を!デジタルカメラで写し込むだけ...
そんなことだけ!を、楽しむ為のモノになってしまったんだろう??
そのむかし、人間は「訪れた街や場所、ヒトの光」
それらのヒカリに自分を映して、自分を知るために、旅をした
心の旅...
その昔、お坊さん達は「聖」と呼ばれて、旅をした
自分を見つけるために...
あるいは、修験の道を行く者は、山の中で、自分を磨いた
海を渡って行った、または来た者たちは、何かを背負っていた...
旅芸人や隠密、その他の旅人たちも、行った先々の所で、
色々な情報を仕入れるをしながら、
色んな情報も、その地域にもたらした
だからと言って、
そんな何らかの「使命」っぽいモノを持て行け!とは別段、思わない
だけど、元来日本人は、旅のお人を大切に扱った...
旅のヒトも、そんな地元のヒトに感謝した
そんな結び付きの中で、なんの変哲も無い日々に色が添えられ、何かが少しずつ変わって行った
その出会いが、お互いの「何か」に、影響を与て行った...
今なら、
国内旅行なら、じゃらんや楽天トラベル、るるぶトラベルなどのガイドブックが定番化!?
そして海外旅行なら、地球の歩き方辺りを、まず手にするもの
確かに、これから行く先の場所の情報などは、事前に仕入れることが出来るのなら「失敗をしない、あるいは無駄な時間を費やさない」ためには、必要なこと
楽しい旅行をするためには、事前にテレビで、その地域の情報を発信しているなら、それを見て置くことは、まったく損はない
しかし、其処に行く目的、あるいは理由、そのモノが重要
人間はもともと「知らないことを、知りたい!」存在だから、
モノゴトの始まりは、好奇心(with 羞恥心)
だから、それを満たすための「そーなんだ!」な旅は、良い
行ったことのない場所を、自分の記憶の中に焼き付ける
話したことのないヒトと、おしゃべりをブッコいて、方言なんかを覚えてみる
そこでしか出会えることの出来ない食べ物を食べてみて、自分の中の未開発の味覚に刺激を与える
あるいは、思ったほどのモノじゃないこと!?
そんなことを知ることも大切
だけど、この角度から撮ると、あのガイドブックと同じアングルだ!とか、
この食べ物は、ミシュランに載っていて、有名なんだよ、
っていう蘊蓄(うんちく)を語るために、そのお店に入ってみる...
ただ、単に「何かと同じ」ってことだけで満足して、
振り返りもせず、その次!って、行ってしまう
旅の恥は掻き捨てって思って、旧跡なんかに「落書きの書き棄て」を行なう
だからと言って、写真をとっちゃ駄目!食事をしたらイケナイと言っているのではない
「人生を生きる」と言うことが、旅そのものである!のであれば、
ちょっとだけ日々、成長して行くが五徳、何かが変わって行くもの
自分と一緒に写っている存在を、単なる背景
自分を引き立てるための素材にしてしまうのは、可無し過ぎる!?
そこには、愛する「わたし然」いない...
そこには、何も変わらない日々だけが続きて行く
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