hot_eyes 雑記帳

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Story of 道 - はじめに -

「地」の面で繋がる

土也≒「土」也

人類の内、何人かは「舟の上」で生活していたり、また「砂の上」に住んでいるヒトもいる
あるいは、土地に縛られずに、常に移動をしなから生活しているヒトもいる
けれど今は、ほとんどの人間が、一定の場所に住んでいる
社会のシステムも、基本的には「住所」を基本として出来ている

つまり、定住方式が、いまの人類の大方の「在り型」

そして、その場所は「樹」に囲まれた場所であり、その「樹」があるためには、常に「土」がある
確かに「樹」の中にも、冒険者たちはいるワケで、断崖絶壁なトコロや、空気の薄い、あるいは水の少ないトコロに、その生活の地を求めるモノもいる

それらの冒険者たちが切り開いた「土」あるところに、新しい「種」が紛れ込み、植物の多様性が産まれて来る
そして、花が咲き、鳥が飛び、その他の動物たちも、其処に棲むようになる...
そこに、人間という種族も現れる...

そして「家」を建て、一緒に暮らすことになる
その最少単位での「家族」が、徐々に「集団化」して、それぞれに役割が分担され「村」になる...
その分散していく「大きな流れ」は、色々な理由を孕みながら、現在、地球というものを覆う所まで来ている

基本的には、ヒトは「家」をベースに、動いている
人生の1/3を眠らないと「アタマの中が整理出来ない様に出来ている?」らしい、人間という種族は「帰るトコロ」を必要としているらしく、それを「家」と呼ぶ...

で、いきなり話しは、現代に飛ぶ??

最近は、その後の「色んなメンテナンス」のことを考えて、
「家」そのものも、それぞれの地域によって、色々な形態がある(あった)

それらは、技術の発展に支えられ、より良い「方法」を見つけ出し、それぞれに、新しい「様式」が生まれて、今日がある
家の中でも、その「床」を、板張りにしたり、畳を敷いたり、大理石!?で覆ったりした
ちょっと、そこには「見栄」が、ミエ隠れ??し始める...
あるいは「偽(ニセ)」が紛れ込む

また「道」には、石を敷いたり、アスファルトを貼ったりして来た
そうやって、少しずつ「土」から離れて行くことになった...

そして、物理的な「移動」を考えれば「重なって行けば良い!」で、高層化していく...
それは「利便性」の追求

それこそ、コンクリート・ジャングル

それは、利便性の「究極の形態」の一つの在り様である
空間的な「距離感」を無くすためには、凝縮して住めば良い
ある種、必要なモノを「一つ所」に集めて仕舞えば、機能的になる...

また「道」に関しても「雨降って、地がドロドロになる」では、歩けないから、舗装をする
...それこそ「雨降って地固まる」とか言う前に、それなら、固めて仕舞え??
家も「傘」が無ければ、寝ても居られないから、屋根を付けたり、その素材を吟味して、より耐久性やメンテナンスのし易さを追求してきた
壁も壊れ易い!よりも、頑丈で「安い」方が、良いに決まっている??

「コンクリート」とは、それまでの「石」という加工が難しい物からの「自由への道」の上で、その答えとして生まれて来た存在でもある
それまで不確かだったものを「concrete≒実在」するものに変え、また「コンプリート(complete)≒完全なるもの」へ通じることを、人間は追い求めた
だから、コンクリートは、人間の生み出した、一つの「答え」でもある
ゆえに、それ!そのものを、否定しても始まらない

問題があるとすれば、「適材適所」かどうか?
(あるいは、資材として、それに混ぜる「砂」の質を、どこまで吟味したかも問題??)
つまり、何をコンクリートで作るか?という、実際は「それを使って何を作るか、あるいはどう利用するか?」という程度の問題である

一方では?そうやって、少しずつ、人類は「その住処」を広げて行った...

また、それぞれの繋がりの「形体(携体)」としては、色んな形の「道路」を作り、空間的に繋がって行く
やはり、色んなモノが集まるトコロへ「すべての道」は通じ、そこから、また、すべての処に通じていた
日本で言えば、江戸時代の頃の「東海道」「中仙道」「山陰道」...etc.
現代で言えば、国道、都道府県道、市町村道、私道...という「分類」をして、それぞれにそれぞれの役割がある

だから、何となく!?それを「治めている!」と思っている立場の人間は、新しい「道」を造りたくなるもの?
「ダム」にしても、その「地」を治めるためには、そこを流れる「水」を収めなければ始まらないから、それと同じ「想い」が、その根底にある
ある種「取り憑かれた」様に、それをやらねばならぬ!な気持ちになる

「水」と「道」を治める
それが、結局のところ「ヒトを治める」基本的な用件であった

基本的に、水の無いトコロに、ヒトは住めない
また、これだけ広範囲にヒトが結びついている世界では、色んな「道」を通って「色んなモノゴト」が流れて、繋がっていなければ、活きては行けない

むかしは、実際の物理的な「道」を通って、色々なモノゴトが移動した
それは「物流」という形で、海の上を、河(≒川)を、色んな地上の道を通って、交換されて来た
その中には「情報」というモノも、色んな形で流通した

そして今は、その「情報」というモノも、価値を持ち、
それの「有無」によって、より多くのヒトの、そのヒト自身の人生が、
全く違がったモノになる程の影響力を持つ様になっている

また、いまは「情報」というモノの伝達の方法が、多岐多様な形態を持ち、色んな経路を通って、世界に伝播して言っている
そして、ヒトとヒトを結ぶ情報は「口づて」「手紙」「電信」「電話」「ラジオ」「テレビ」という様に、色々な形態が増え、現代は、多くの情報が「インターネット」の上を飛び交う様になった...

...ちょっと話しが、散漫に?なって来たので、この辺で、一度「筆」を置く


「水」を治めること
それは、ある種「自然を治めること」あるいは「自然と仲良くする方法」

「道」を治めること
それは、ヒトを繋げると共に、ヒトを治めることでもある

言うなれば、今までの時代は、その「道」はそれが集まる、怒!真ん中
そこから、一方通行のベクトルで外へ向かって「情報」が放射されていた
しかし、世界が丸く繋がってしまった以上、
そのシステム、あるいは「考え方」を変えなければ、明日は来ない...

その「新しい道」の、新しい在り方を、みんなで創って行かなければならない

「道」は、一方通行では、どちらかに何かが溜まって行ってしまう
ある種、ベクトルが一方に向かっていれば「不平不満」が、何処かに溜まって行く
基本的に、色んなモノが「弱いところ」にそれらは集まり、いつの間にか「この恨み晴らさで...化」してしまう

けれど、双方向な場合は、何処かで正面衝突や、交差点での出会い頭の事故にも繋がるもの
常に何らかの、交通整理が必要なのは、具体的な「路上」だって同じ事

そして「水」は高いとかろから低い所に流れ、最後は海へと流れ込む
いつの間にか?そこから空に昇って、また雨として降るから、バランスが取れて来た

そのことを人間は、そんなこと「当たり前」って、他人任せにして来た
そして、その循環が出来なくなったトコロは廃墟として、次!に移動した
砂漠は、それこそ勝手になった!トコロもあるだろうけど、案外、人間の仕業??

だから、すべてのシステムは、同じ様なモノ...だったりする
そして微妙なバランスという「道」の上を、みんなして歩いているに過ぎない...のかも?

「諸行無常」とは、常に世界は色んな方向に変わっていくモノ...そして
「他力本願」とは、自分だけの視点だけでモノゴトを見てはいけない、他のヒトの視点もあり、相互に影響し合って、この世は出来ている(≒廻っている)ということ

「道」は時として「路」になり、それらを繋げるためにある...


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