確かに、世の中は「もちつ、もたれつ」である
あたたが居て、僕が居る
むか~しは、それぞれが「色々な単位」で、
自分の世界だけ!のことを考えて、それを守るために生きていた
そして、それは「今にも続いている」
コンだけ!世の中が、色んな意味でネットワークされて、
地球の裏側で出来た「モノや情報」が目の前にある!!ってことになっても、
基本は、眼の前にある!? 「そのモノだけ」で理解する
「そんなモノゴトだけ」を尺度に、ヒトは色んなことを考える
それは、どんな処に住んでいようと、どんな「偉い人物」あるいは「立場」であろうと、同じである
「知らないこと、あるいは理解できないこと」
それは、自分にとっては「関係無い!」ことになるワケで、それは「蚊帳の外」になる
選民思想
誰が選んだ?のか知らないが、自分は選ばれた存在
案外、みんな「誰かに、あなただけ!」って言われたい
あるいは「アンタは偉い!」って褒められたい
出来れば、生まれながらに「あんたは選(すぐ)れている!」って言われれば、とっても、自分だけは安心できる
あるいは、自分たちだけは何をやってもイイ!ってなる
いま!声高に言われている
「天下り」「談合」「民営化」「地球温暖化」「メタボ」...etc.
それと同じ様ばモノごと!は、人間の歴史の中では、何度も色んなトコロで繰り返されて来た
それをやることによって「誰かが安心できる」なら、あるいは、それに注意すれば良いなら、 遣れば!良い
但し!それが「○○だけ!の世界」で行われるから、問題になる
国家公務員の霞が関の「財○省」だけとか、
大分○の教育委員会の上層部だけ、北海○開発庁の入札に関わるヒトだけとか、
アラブの酋長さんや、ネットで株取り引きが出来るヒトだけ...
この世には、まだまだ「○○だけ!の世界」は、たくさん存在する
確かに「その世界だけが、選ばれた!」って思えば、何でも出来る!!
そして、勘違いが始まる...
確かに「考える範囲を限定する」
それをしなければ、イメージはまとまらない
けれど、その外側には、また「違った世界」がある
あるいは「廻り廻って、元に戻る」ってことを知らなければならない
そんな「みんな繋がっている」中で、いま!この一瞬に生きている自分
そんな自分を活かすには DO するか?あるいは何が出来るか?考える
そうすれば「誰でも良かった!?」なんて、結局のところ「自分は誰?」っていう迷子にならないで住む
いまは、あまりにも「色んな世界」が有り過ぎる!?から、みんなが「迷子」に為り易い
だけど、ちゃんと「観れ!」ば、怖いモノはない
あとは「塩梅(あんばい)」「シオ加減」
何処までを「わたし」が持ち、何処からを「あなた」に持ってもらうか?
少しずつ歩み寄り、それぞれの「ブンタン(分担)」を、決めていけば、
良い&善い、好い(≠酔い) ツ(^o^)シ