「限度」あるいは「限界」を超える...
例えば、金メダル(イチバン! or Number One!)への道
北京オリンピックでは、結構、有名な多くの「金メダル候補」が怪我のために、レースに参加しなかったり、途中棄権なんかをした
それだけ、勝負している「ライン」はギリギリなところにある...
日々、テレビで流されている、メダリストたちの凱旋訪問
そんなヒト達の中にも、すでに身体はガクガクで、この大会を最後と決めているヒトも沢山いるハズ
メダルを取れなかったヒトにも、同じ様に「アスリートとして存在する」ということは、怪我との戦いだったヒトはたくさんいる
それだけ!「一番」を目指すということは、過酷なモノになっている
最近は注目を浴びなくなった「ドーピング問題」
いうなれば、薬を使って「ニセのボディー」を作ること
それの何がイチバン問題か?っていうと、ソレを使った後の副作用の問題と、ソレを使え!って命令を出す人間がいたということ
「クスリ」そのモノには罪はない
例えば「サリドマイド」っていう、薬
昭和30年代に使用禁止になったけれど、違い病気に有効だということで注目を浴びている
その昔、使い方あるいは使う対象を間違えたから、禁止になった
だけど、別の使い方をすれば、意味がある!なら、注意して使えば良い...
DE!話し戻って...
「国の威信」を賭けた大会、それが、オリンピック
だから、ときに、色んな面で「度」を超えてしまう
けれど、そんな「度」のギリギリのところで、それぞれが自分を「堵」して、色んな「努」や「怒」あるいは「弩」で、乗り越えて行かなければならない
それは、その競技に、すべての面で自分を「奴」化しなければ、辿り着けない道でもある
だから、そんな「DO!の塊化」したアスリートたちを「自分たちの代表!」として、自分たちの思いを重ねることで、そのシンボルで「括られる者たち」の間に、一体感が生まれることも事実
そのピークが高ければ高いほど、より強固なものになる...
けれど、ときに「傍観者たち」は、自分たちの「尺度」だけで、その結果を計ろうとする
そんな「度」が超えないように、みんなして注意して、ときに「怒」しなければならない??