hot_eyes 雑記帳

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補足説明/「承」

ヒトはその間(あいだ)で、何かを「継承」して、つながっていくことによって「人間」になる
ほかの生物よりも、もっと、その傾向が強く生まれてきた
つまり、生まれたあとに「習得する部分」をたくさん残して生まれてくるのである

それは、ヒトが「大きな脳」を持って生まれたから...

その、それぞれの「鏡(かがみ)」と言える「脳」が育つには、多くの時間がかかる
それを磨きクスミをなくし、そしてブリリアント・カットしなければならないから
(余談/一方では、その鏡は好奇心を持って「遊びたい」存在でもある)

そして、それを支えるための肉体を持って生まれて来ては、母体の構造が耐えられないから
だから、未成熟のまま生まれてくる

魚なんかは卵から出たら、すぐ泳げる
四足の動物は生まれたら、すぐ立ち上がらなければならない
また一方では、パンダとかカンガルーなどの「手さきの器用なモノ」は、母親のフクロが必要である
サルは掴まる背中と握力が必要

ヒトは生まれて、すぐには歩けないし、握力もない
だからカンガルー達と同じように「お袋さん」が必要になる

そして、ちょっと大きくなったら寺子屋など、もっと古くからは色々なカタチの「承」の場所を作り、そこで何かを継承してきた...


「士農工商」の時代

そのずっと前の原始の時代は、最初はみんな同じような生活だった
そして集団が少しずつ大きくなると、集団の中での「役割」が現れる
そこに豪族が現れ、次に武士が現れて、色んな「役割ブンタン」が生まれてくる

社会あるいは集団の規模が大きくなると、役割をブンタンした方が効率が良いから、それぞれのやること、つまり「仕事」が生まれることになる
そして、ある程度、全体像が見えてくると「あまり変更がしたくないお化け」が出て来て、生まれながらの...になる
それが「士農工商(順番は別として)」などの社会的な役割ブンタン
そこには、ちょっと「メンドクサイお化け」が見え隠れ!?

ある面、生まれながらに「仕事」が決まっているときは「家」が「承の場所」になる

それこそ寝食を共にする老師がそばにいるから、自然と、生活のための「仕事」を覚えることが出来た
改めて、お金を使わなくても「無料!!」で、それぞれの「役割」が受け継ぐがれることになる
また、ある面「やることが決まっている」方が、楽チン

けれど、やっぱり人間は「自由」になりたい...

だから、江戸時代から明治時代になる頃に、新しい学校が出来始めた
それはある面、固定化された分類の中ではこなしきれない状況にもなったし、ある種の「馬鹿ばっかし!?」つまりステレオ・タイプになっていたことも要因
その頃の寺子屋は、生きる上での最低限の技術「読み書きソロバン」などを「承の場所」だったけど、そこから新しい道が開けることになる

勉強すれば、今の状況から脱却できる!!
一方では「みんなのために!」なヒトもいた

最初は、専門学校的なもの
それが、体系的に整備されて大学的な学校になる
そして、出来るだけ「みんなに平均的に学問を!」で、小学校ができる
それが、初等教育から中学へ、
一方では、大学の予備教育としての「高等学校」ができ「大学」へと繋がる

だけど「承の場所」の中でのある、この2つの流れが「有機的な」役割ブンタンで繋がるべきだった

それが、ちゃんとなされて、上手く繋がっていれば、何の問題もないはず
お互いに足りないところがあれば、それを補え合えるようになっていれば、どうにかなる!!
あるいは、どうにかしなければならなかった

だけど、今は学校側(管理側と一般の教員の間も含め)も、文部科学省も、考え方が「バラバラ」なのが現実
小学校からの流れと、大学からの流れが、共通した「考え方」で結び付いていない
ある種「一般教養」と「専門分野」との橋渡しが、上手く繋がっていない

そうなると、面倒臭くなる

一つには、最近とみに声高に叫ばれる「少子化!」を唱えながら、今まで何もして来なかったことを棚に上げておいて、いきなり小学校なんかは「統合してしまえ!」になる
しかも、お金もないし...ネになる
みんな「お金を持ち出されたら弱い」から、アタマを縦に振ってしまう

一方では、大学教育と初等教育との橋渡しのシステムを上手く作って来なかったことに「蓋をして」置いて、基礎学力とは?何かが有耶無耶だった
そのことに知らん顔を決め込んでおいて、今の状況だと「世界のレベルから見て、学力が落ちている」とか、色んな理由を探して「どこから、人間を区分けするか?」っぽい、人間の分類の線引きの「裏付け作業」を、一生懸命をしている状況!?

そして自由度が無くなっていく
現在は、その流れが顕著になり始めている...

時代が「後戻り」し始めている!!
それは、「職業の固定化」

一方では、確かに「職人ワザ」というものがある
それは、とても時間のかかるモノだし、それに足を染める「始めの一歩」の年齢制限があるものもある
ほかにも、習得するには時間のかかる「分野」は、たくさんあることも事実

本当の問題は「一般教養」と「専門分野」の境界線のライン取り
そして何時(何年生)から、それを「枝別れさせる」か?の問題

その前に、やっぱり職業に「貴賎の差別」があること自体が問題
本当の「職人」は威張らない!!
自分のやるべきことに集中して、他のヒトのことをとやかくは言わない

それが本当の「プライド」

だけど、ただ単に「威張りたいヒト」が、状況を固定化したがっているようでならないのは、私だけだろうか??
...て、他にも書きたいことがたくさんあるけど、今回はここまで

最後に/

小学生くらいの年齢の頃は、体力の向上などの意味も含めて『歩く!!』が基本のはず
なるべく歩かせて、自分の周りには何があるのか?の「地続きな空間把握」をさせるべき

その頃は、改めて「バスで運んで見せる!」なんてことをしなくてもイイ
あるいは、その前に、それをしなければ「自分のふるさと」あるいは「原風景がない」まま育ってしまう

「私はどこ、ここは誰?」な、また迷子を増やすだけ...