それぞれのヒトは、それぞれの「自分の辞書」を持っている
それを使って、色んなモノゴトを判断し、実行している
そして、色んな「言葉」を使って、色んな「情報」を色んなカタチで伝達することで、色んなモノゴトを分担して、この世は発展して来た
それぞれの分野で、色んなプロフェッショナルが生まれることによって、それぞれの専門分野が進歩した
もし、それぞれのヒトが、生きるための「必要なモノゴト」そのすべてを自分の手で遣らなければいけないのであれば、それこそ!石器時代あるいは、色んな土器の時代に戻るしかないのかも知れない
けれど、その頃のヒトが持っていた「生きるための技術」は、今のヒトは持っていないから、色んな急激な変化が伴うことになる
ゆえに、今まで!進んで来た「道」を歩んで行かなければならない
...そして、そこに書かれている言葉、あるいは映像を使って色んなモノゴトをイメージ、想像して、新しいモノゴトを創ってきた
今の文明は、過去のヒトが残してくれた「智の遺産」の上に、新しい枝を伸ばして、色んな分野を発達させた
逆に言うと、人間はそれぞれの「自分のアタマの中」にある、それぞれの辞書に描かれた「言葉」
それ以外のコトバは、使うコトは出来ない
だから、まず、自分の辞書に描かれているモノゴト
それがなれれば、それ以上の「想像力」を働かせることは出来ない
今ほど、色んな分析力がなかった頃、色んな蓄積が伝達しなかった頃
あるいは、この世界の色んな現象を「言葉」に置き換え、理解することが出来なかった頃には、この世には、色んな「自然の化け物」が住んでいた
自然現象の多く、それらの自分が理解できないモノゴトは、人間以外の、何らかの「意思」が働いて起こっているコトとして、一括りにして、それは、人智を超えたモノとして、ある種そのモノゴトに対しては「諦めていた」
けれど、色んな先人たちが、色んな「智の記憶」を残してくれたお蔭で、その先の世界を理解することで、今日に至っている
色んな「智の遺産」の上に、現在の世界がある
だから、色んなコトを、諦めないで!歩んで来れた
だけど、何かに書いて(≒描いて)伝えることをしなかった文明
その多くは、今の「人間の世界」には、直接、繋がってはいない
本当は、受け継がなければイケなかったモノって、案外、ソコに眠っている場合もある...
「智」の武蕗具/