昨日(2008.04.05)、何らかの「飛行体」を、北朝鮮が太平洋へ向けて発射したらしい
日本の防衛体制は、前日に「2回の誤報」をしながらも、いちおう、その飛行体を太平洋2,000kmまで追尾していたらしい
そして、色んな立場で、色んな発言が続いた...
世の中には、色んな「可能性」がある
だから、「一寸先は闇」っていう否定的な考え方も出来るし、「子供には無限の可能性がある」っていう肯定的な考え方も出来る
けれど、現代の「記録がたくさんある時代」には、色んなモノゴトについて色んなデータが残されていて、大体のことには「その結果」が、事前に分かる様な時代になった
100%ではない!にせよ、ほとんどのモノゴトについて、80%位の確率で、その結果が分かる!様になって来た
それは「自然現象の予測」が相手の場合、例えば、気象庁の「天気予報」の精度を1%上げるためには、相当な観測する場所の数およびデータが必要である
日本全国に張り巡らされた観測所、そして何十年に亙(わた)って蓄積されたデータがあるから、最近の天気予報は、たぶん10年前よりは1%以上は上がっているはず
かつ、より細かい地域ゴトの予報を出すことが出来る様になったはず
だから、自然相手の仕事「農業や水産業」では、去年のやり方が今年も通用するとは、必ずしも限らない
季節は一年365日で一周して、それぞれの季節は同じ様なモノではある
けれど、だからと言って「まったく同じ今日」はない
去年と日付が一緒!だからと言って、「去年の今日」はこれをやったからと、まったく同じコトを「今日」もすれば良い!というモノではない
そこには、微妙な違いがあり、今年は今年のやり方をしなければならない
けれど、人間が造った環境「人間の造ったシステム」の中では、その選択肢、あるいは選別された後の「未来」については、ある程度の予想ができる
だから、学歴社会になるし、色んな資格が生まれて来る
今の子供は「夢」を持っていない
あるいは、現実的なことしか言わない...等の言葉
それは「すでに答えを与えられた世界」で、その中で何らかの可能性を探せ!って言われているようなもので、化学者以上に難しい立場にあるから、ショウガナイ
その設問自体が、無理難題を言っているに、等しい
ある程度、社会のコトが解ってくれば、その中の「自分の立ち位置」からの可能性は予測できるモノである
「アタマが良い」っていう尺度でいえば、そのアタマの中は、30年前よりも、より現実的で完成されたモノ!?になっている
... で、話し戻って「スイッチ」の話し
何らかの「スイッチ」は、誰かが1人で押さなければならない
最近は、家庭でのテレビは1人に1台の時代になったから、家庭内でのチャンネル争いは減った
あるいは、テレビよりもパソコンの前にいるヒトが多くなったから、あの手この手で、テレビを振興(≒信仰)している世代は、やれ地デジだ!ってやっている...は余談
が、その昔、その家のテレビのチャンネルを回せる人間が、その家でイチバン偉かった
選択をする(≠洗濯)あるいは、選択できる立場が、その世界を支配する!わけで、また、スイッチは1つしかない
だから、その選択をしたことへの「責任」が大きくて、誰か1人で背負うべきモノではない場合、誰が押したか解らなくすることもある
何かを選ぶということは、未来を選ぶということ
それを押すか押さないか?で、その後の「世界」が変わり、その選択肢が「2つに1つ」になった場合、誰かが、そのボタンを押さなければならない
そのボタンは1つしかなく、誰かが押さなければ「何も変わらない」場合、誰かが押さなければ始まらない
一方では、この世を左右する「核のボタン」
その前に、それを「押せるだけの資格を持ったモノ」が立っていなければ、その世界は不幸である
そして、そのニンゲンのココロが、この世の「幸せ」って何か?っていう未来を観ていなければ、その手にそのボタンを持たせるべきではない...
けれど、何処ゾの国では今まで、余りにも「他人任せ」にし過ぎて来た
だから、こうなった!
そして、チャレンジしなければ、チェンジはしない...