最近の、家屋には見られなくなったが、古い農家の建物やお寺さん、神社なんかにはあるのが、縁側
その家に用事があったり、何かのついでに立ち寄ったときに、ちょっとだけ、そこに座って家人と話しをすることの出来る場所
建てモノと考えれば、その「家の一部」だけど、空間的には「外」でもあり、じゃあドッチなんだろう?って考えると、夜も眠れなくなる!?
けれど、其処には「在る」
そして、その時どきに「使い分けること」によって、何らかの意味がある
今の時代は、何でも「シロ or 黒」付けたがる
あるいは、右か?左か?を選択しなければ、前へは進めないことってある
けれど、その!どちらでも良い、あるいは本当は違うところに核心(≒本質)がある「選択肢」って、結構多いモノ
そして、本当の「選択」をしなければ活けないこと
それを隠すために、違うところにスポットライトを当てることをするヤツがいる...
一度、縁側に座って、考えて視る
すると、本当の答えが観付かることもある
ここのところ、たくさん造って、みんなが「自分のモノ」を持てる時代が続いた
だから、みんなが「自分のモノ!」に拘(こだわ)る様になった
だから、ニッポンの家屋から「線側」が消えた?
そんな側面が無くなったから、「間」が無いギスギスした人間関係になってしまった??
「マーマー」と「ナーナー」
同じ「母音」だから、韻(いん)を踏んで、ラップなんかにも使えるカモ!?
が、いっけん「同じ様な風情」に見えるモノだけど、そのココロの風情は、まったく違う
その違いは、ココロを磨かなければ、分からない...