本来は「商売」とは、口利(くちき)き屋のことである
右で聞いて来た情報を、左のヒトに話す
右に在ったモノを、左のヒトに渡す
右で集めたお金を、左のヒトに貸して上げる...
要するに、基本としては「そこでは、新しいモノは何も生まれてイナイ」
けれど、知らなければ、何も始まらない!
だから、誰かが!右の情報を、左のヒトに伝えることが必要になる
だいたい、右にいるヒトは何かを持っている
そして、左にいるヒトは、おカネを持っている
そうすると、その間に立ったヒトは「商売をすること」が出来る
今の時代は、情報を持っているか、いないか?のトコロで、色んな勝負が決まる時代
だから、ひと頃の「バブルの時代」は、広告代理店が天下を取っていた
その前は、テレビやラジオ、新聞といったメディアが、力を持っていた
その前は、金融機関に情報が集まっていたから、大きな顔をしていた...
人間は、生まれて来たときには、その手には何も握ってはいない
強いて挙げれば、お釈迦さんが生まれたときに、
右の手を上に、左手を下に向けて「天上天下、唯我独尊」って言った位?
それにしたって、その手には何も握られてはいなかった
その背中に「使命」という荷物は、背負っていたのかも知れないが...
生まれながらに人間は、「自分の身体」以外は所有していない
最近、また!噂のネタになっている、「世襲問題」
あるいは、色んな分野での「既得権」の問題
やっぱり、人間は「物理的に、何も持っては生まれては来ない」が、生まれた「色いろな環境」に拠って、持たされるモノ&その資質による「何らかの違い」は、必ず在る!
ワケのわからない「平等論」ではなく、その違い、あるいは、その資質を活かすためにDO!したら良いか?を考えるべきである
おカネは、固まって在った方が、その次!のための「パワー」になる
だから、それをウスウス知っていた長老たちが居たから、昔の社会は「一子相伝」で、長男が偉い!ってやっていた
最近というか、「平等」という言葉が、みんなに使われ出してから、それは「自由」と対立する概念として捉えられて来た
けれど、その「平等」を声高く語る言葉の裏側に、持たざる者の単なる「嫉妬心」が見え隠れする...
単なる、俺にもそれをクレ!っていう「欲」だけが透けてみえる
また一方で、分析好きな評論家たちの、色んな言葉
その多くは、それを発することが目的であり、その先にDO!したら良いか、自分ならDO!するか?を語ることは無い
自分だけは、安全パイを握り占め「高みの見物でいる」から、色んな事が言えるのである...
世界の中の「右側と左側」の距離は、色んな意味で縮まっている
その間で、今まで機能して来た、色んな「商売」が成り立たなくなって来ている
そして、社会における「競争」というモノは、その「間の処」でしか起こり得ない
なんでも!その坩堝(ルツボ)に入れようとすることは出来ない...ゾ〰ッと