気がつけば? この文章が、今月発&初!の駄文だったりする
ココの処、ついったー 上で、ここに描くYoh!なことは、140字以内あるいは2〰3短冊に描いていたりするので、ココまで手がまわらなかった
また、色んなブラウザの「ブックマーク」に登録している、良く見る他の方のHPやブログ、あるいはSNSに行く機会を失っている...
歴史 History
hi story は、色んなカタチで、受け継がれて来たモノ
それは、言葉での伝承に始まり、壁画、あるいは文字に拠って、受け継がれて来た
だから、みんなが「嘘は無い!」って思いたいし、あってはナラナイと思っている
けれど、原始的!?な口述伝承の時代から、それを受け継ぎたい者の意思によって、色んな脚色や変化がその中に埋め込まれて来たし、ときに「抹殺された事実」は、たくさん有ったりする
あるいは、そこで使われている言葉なり文字の、時代に拠る変遷があり、本来の意味で伝わらないことも多い
過去は変わらない
確かに、そこまでの実際の歴史は、1つの「時間」という尺度の中で、切れ目なく「今」に繋がっている
それは、遺伝情報が代々、それぞれの身体の中のDNAとして、それぞれの人間の中に受け継がれ、その最後の「尻尾」の処に、それぞれの存在があるYoh!に、どこかで切れてしまえば「それにて The END 」で終わってしまっている
だから、人間は、その流れの方向性を想像して、その後の「可能性と終末」を観ることが出来る
歴史は、それを観る眼に拠って、変わって来る
思うと思わざるに関わらず、ヒトの数だけ!「歴史は存在する」
けれど、より真実に近いモノを共有することは出来るはず
あるいは、共有できる「未来」を創るために、共有出来る「歴史」を意識することは出来る蓮
ときに、ニンゲンは「自分の優位性」を保持するために、歴史を造る
それは、刻の権力者が、自分の家系を、何らかの動かし難そうにみえる「過去」に結び付ける作業を始めるが如く
そして、そこに自分の子孫への「遺産」あるいは「世襲の道」を造ろうとするが如し
それこそ、人類は生物としての、自分の種だけ残そうとする「種の保存」という、呪縛から解放されなければ活けないのかも知れない ...蓮!?