その昔、ちょっとだけ心理学をカジッていたとき、
人間は、純真無垢な真っ白なキャンバスを持って生まれて来るのか?
っていうことが、引っ掛かっていた
確かに、経験の無い、子供のココロには、何も描き込まれて居無い!
から、それを「白いキャンバス」と言っても良いのかも知れない
そこに、他のヒトとの接触や、色んな事象と巡り合って、
少しずつ色やカタチが形成されて、「世界」が出来上がって行く…
そこには最初、沢山の「自分茸」が生えている
ツマリ!? 自分にしか解からない & 自分の要求だけ!の世界が在る
所謂(いわゆる)「エゴ」っていう奴!?
それこそ!
人類という「種」が、生まれた途端に歩き出したり、食べ物を手に出来る
そんな存在であれば、その「自分茸」の成長に実を任せれば良い
「他者の存在」は、自分以外の者(≒物)だから、利用したいYoh!に
利用すれば良い
そこには、「善 or 悪」なんていう尺度は存在しない
けれど、生まれながらに「未完成」な存在として生まれて来る!から、
他者との関係が、最初から存在し、それらを「自覚」することで、
徐々に「自分茸」の本数を減らしながら、「社会的な動物」になって行く
それでも!DNA には、癌の遺伝子が組み込まれていると同じYoh!に
「自分茸」は常に生えよう!! とするから、油断大敵である!?
いま! Free (≒自由 or 無料)っていう言葉が、世界を席捲しYoh!
としている
ときに、それは「自分茸」の蔓延を助長させることになる
言うなれば「他人茸」という、他にも「茸」は有る!ことを知ること
と共(≒友)に、「第三の大人」と居得る、『美』というモノ
それを、皆んな手”!育てなければ、如何&遺憾!! と思っている
然し!それすらも、諸行無常な存在だから、
常に「塩梅(≒塩加減 or バランス)」に気を付けながら、熟成させて
行かなければ、奈良無い?也