hot_eyes 雑記帳

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Only One or Original

オンリー・ワン または、オリジナル とは?

 

「いま!人間の世界」を支えているのは、言葉に始まる?

「何かを何かに置き換えること」という、能力とシステム

つまり、意識して!何かに、コピーすることが、色んな分野で繰り返さ

れることで、多くのモノゴトが流通し、また、色んなことをブンタンするこ

とで、それぞれの「個人の日々の生活!? 」に追われること無く、色んな

ことが出来る様になった

ホンの100年前と比べても、「人間の世界」の多様性は、当時のヒト

にとっては、夢物語の如く、である

 

そして、色んな分野ゴトに「色んな尺度」が存在し、それを共有するこ

とで、時空を超えて?色んなモノゴトが、同時進行!しているのが、

いま!の時代である...

然し、色んなことが、交換可能!な為、それぞれのヒトは、得てして!?

自分を見失う?或いは、自分の存在理由&手応えを感じることが、

難しいことになる...

 

以下、写真を使いながら、話しをススメて行く...

 

♪Number One にならなくてもいい もともと特別な、Only One

 という歌詞は、「世界に一つだけの花 by SMAP」である

又は一方では、

「なぜ世界でNo.1でなければいけないのか?」の発言が、論議を醸し出し

たのは、言葉「仕分け」ということが、マスコミを賑わしたのは、遠~い昔

の(感じがする)、一去年(2010年11月)の話し...

 

JR北海 の「通票(閉塞) at 美幌駅開通100周年 記念展示会
                  of 美幌駅 &美幌観光物産協会

1005_通票.jpg

 

簡単に説明すると、線路が「単線」の場合、同じ線路上(駅の間)を

1つの車両しか通ること、存在しないことで、車両事故を防ぐ!という、

『信号保安システム』の、一つの道具である

 

故に!上記の「通票」は、それぞれ、世界に1つ!? しかなく、もともと

の、全体の「形状」は同じだが、真ん中の穴のカタチは、全て違う!! 形

をしている

それこそ?「通票」界では、誰がイチバン?という様な競争は存在しな

い?から、どれがイチバン!ということも意味を生さない

 

以前、使用されていた「美幌駅」の看板

1004_美幌駅看板.jpg

 

「通票」と同じ理由で、同じ鉄道会社の「駅名」では、同じ名前は存在

しない

どんな小さな駅でも、固有の名称が付けられている

因みに、既に本州に在る地名を移住させた場所、例えば、緒法尽(オホ

ーツク)では、「北見○○」という名前を付けることが多かった...

 

一方、殆ど、クルマでしか移動しかしないので、去年、北海道 を走り回っ

ていたとき、気付いたのだが、最近、北海道の駅にも「 駅コード 」が振ら

れる様になったみたいだ

因みに、美幌駅は、網走のAに、65番目の駅なので「A64」というコード

が割り当てられている

既に、十数年前から、東京の地下鉄などに採用されていたので、JR北

海道、オマエも化である

それこそ?その道の専門家と自認するなら、この「コード番号と駅名の進

行表」を頭にいれる必要がある!?

 

それは、いま!の時代でも、全く同じ!! で、例えば、銀行やネット界などの

登録制度のある処では、個人の特定が必要である!

だから、その「界」の中では、同じ番号や、名前(アルファベット)は存在す

ることは出来無い

昔は所謂「背番号制」と言われて、個人を番号で呼ぶのか?と、みんなに

総スカンを受けた? 「 マイナンバー制度 」も、色んな処で、コード番号が

普及したので、仕方無い哉?と思われている

 

然か~し、それはアクマデモ「ニセモノ」の出現?の、明白な対策をやらな

ければ、スムーズには、構築することは出来無い

何処に行ったの哉?な、「 住民基本台帳カード制度 」や、「TASPO カード

と同じ轍(てつ)を踏んでは、イケナイ

あくまでも、コード表は、それをハンドリングする側の「論理」であり、その「数

字」の向こう側には、生きた人間が居る!
そのことを忘れては、運用は儘(まま)ナラナイ也

 

網走駅 開駅 100周年 メモリアル看板

1003_メモリアル100周年.jpg

 

この看板の、(あくまでも個人的な!?)注目点!は「大正元年開駅」
という表記

ということは? ≒今年は、大正100年!! と、置換えることである 

 

主に、明治の時代から始まる北海道の歴史の中で、鉄道の果たした

役割は大きい

動力が、主に「馬」だった、短い明治の時代から、長距離を移動する手

段として、鉄道網が広げられ、多くのモノが、駅に集まり、移動して行っ

た、創世記が、大正の時代

 

あれから、100年(...きみまろ風に)! その後、昭和&平成の時代に

なって、既に、時代は「自動車社会」になって、みんながハンドルを握り、

自分の意思&クルマで、移動出来る時代になった


然か~し!、「鉄の道」というモノが、否応無しで、隣りの駅と繋がって

居るが如く、それぞれが、自ずと地続きに「他者」を意識しなければ、

ナラナイ!! そんな状況であった

アスファルトで舗装された、自由に走れる「自動車道」では感じることの

無い?「繋がり(or 絆)」を、鉄の道は教えてくれる

 

de 最初の話し

 

元々?丸~く出来ている、地上の上では、同じ名前や取り替えることが

出来るモノが存在するが、個々のモノゴトは、その「場」に於いて、全て

が「オリジナル」である

但し!それを観ている or 使うモノの立場で考えれば、それは取替え可

能なモノであり、それをヒトは「(私の)自由」と言う!?

 

そして、最期に問われるのは、ココロの有様で在る。