色々な競技ごとに「ワールド杯」と言われる世界大会が行われ、成功を収めている
代表的なものでは、サッカーW杯であり、アマチュア競技の代表格と言われたラグビーもワールド杯形式を取り入れた
最近では、オリンピック競技から外された?「野球」でも、その世界大会と言われるWBCで、2大会優勝ということを含め、日本では盛り上がった...
そして、それぞれに、その大会で優勝したチームなり選手が、その競技での「世界のイチバンだ!」と言われている
確かに『現実』として、その競技ごとに予選等を含めて何年もかけて、その大会を進行(≒振興)しているのだから、その「結果」は受け止めなければイケない...
たぶん、厳密に言えば「イチバンを決める」ということに関しては、W杯に軍配を上げざるを得ない
そんな中「色々な競技が一堂に集まって!」4年に1度行われるオリンピック
その大会期間の2週間あまりの間で、その競技のイチバンを決められるのか?という問題も含めて、どこに、何に、その大会の価値を見出すのか??
ということを、もう一度考えなければ、活けない時期に来ているのかも知れません
「ヒカリ」集まるところ、必ず「影」が出来る...
約200年前に始まった、産業革命以来、そして、最近の金融危機
その間、人類は「カネ」という尺度でしか、モノゴトの価値を見出すことが出来なくなった
確かに、カネという明確な「数値」で計る方が、みんなでその価値を理解して、方向付けをするには分かり易い
スポーツでも、その勝負は「タイム」や「得点」というモノで付けることになる
そして、勝つモノがいる場所には、必ず負けるモノがいる!?
翻って考えるに、アマチュアイズムとは、そのフィールドを離れたとき、その「土俵の中のこと」を、その外に持ち出さないことだったハズ
けれど、色んな意味で、それが「地続き」になっているのが、今の状況
一方では確かに、霞(カスミ)を食べて、人間は生きては行けない…
2016 東京オリンピックに求められているモノ
それは、色んなモノゴトが混在する現在の状況で、そこに「新たな指針を顕すこと」が求められていると思う
何故、ギリシャの時代に、スポーツというモノが、生まれたのか?
そして、日本の「武士道」というものが、最終的に何を追い求めていたモノなのか?
そんなことを、もう一度、考える時期に来ている様に思われる
「ともに生きる」ための術…
ほっとあいず ツ(^o^)シ