物事を遂行するにあたって、状況に合わせて、やり方や役割分担を変化させていくこと
一見「カタチがない」ように見える
しかし、そのためには、まず「基本の形」が必要
それは、いま流行りの「マニフェスト」「マニュアル」あるいは「設計図」
それがなければ、何が「臨機して、応変した」のか、解らない
単なる「行き当たりばったり」に見えてしまう
また複数の人間が関われば関わるほど、なるべく多くのヒトで共有できる「基本形」がなければならない
どのような「完成図」があり、その中で、どのような「役割分担」があり、自分がどこに関わっているのか、なるべく多くのヒトが理解していた方が、「応変」の深度、自由度が高まる
どこがどのように変化したのか「理解」できなければ、タイムあるいはマインド・ラグが起こってしまう
どこかに軋轢が起こってしまう
そして、その「設計図」にコダワッってばかりいては、個性が見えてこない
システムが大きくなればなるほど、正確な「基本形」が必要になるが、それぞれのヒトのやり方(やる順番を含め)や工夫があるから、ある面「出来上がるまで待つ」ことも必要
それが「完成図=全体のバランス」と違っていれば、一緒に直せば良い
ある面、それが本当の「臨機応変」
それらの作業の過程を共有したとき、
そこに仲間の「輪・和・話」が生まれて、次の大きな「輪」に繋がっていく...
それは、今までの「封建の時代」が、誰かが一方的に作った設計図を「カタチ」にしてきたことに変わり、
「みんなで設計図を作り、みんなでカタチにしていく」、真の民主主義の時代のやり方
その基本には、情報交換のための「話し合い」がある
そこには、みんなが、なるべく大きな「ダンボの耳」を持っていなければならない...