この世は、当に「個人の、好むと好ま然るに関わらず」
色んなモノゴトが、色んな関わりに於いて、繋がって居る
それは、危うい!? ヤジロべーの如く!な関係である
持ちつ持たれつ!な関係
「ヤジロべー」は、適当に左右のバランスが取れていて、揺れている!
だから、面白い!也
これが、全く揺れなかったら、誰も見向きもしなくなる
一方、片方だけが、必要以上に重くなれば、揺れる処”か、
ヒックリ返って終う... 風に揺れている位が、ココロを和ます...
そんなヤジロべーな関係がアチコチに存在するのが、ヒトの世である
だから、バラバラに風に揺れていればイイ!それぞれの勝手!?でしょ
って思うことも出来るし、何処にどんなヤジロべーが居るか?も、
理解しなくても好い!って考えることも出来る
確かに、Do 考えるの化は、最期の処は「個人のチカラ」
然し、タダ単に、それを「そのまんま」何もせず、理解しようとしても、
色んなモノゴトが複雑になっており、簡単には「自分の辞書」に、
描き映すことは出来無い
ココの処、リアルに動いて、色んな処に出没!した
今月だけでも、色んなページが、総計40P!? を越えてしまった
それらのページも、色んなモノゴト(含む写真)を、端折(はしょ)って
描いているので、この間に、色んなことを見聞している
その中で、縮小して「ダイジェスト版」として、描き出したまで??
そのページだけでも、色んな要素があり、単に「日付」で描き出しただけ
であり、そのまんまでは「何が何だか?分らない」状況である
喝! ポスターのページだけ や、報告のページだけ を取り出しても、
既にインデックスのページを創らなければ、如何!と思っている
この世は、色んなモノゴトが同時進行!しており、それぞれの「界」
の中でも、色んな物語が進行!! している
一方、この世には「色んな道具」が在る
その中で、「数字」っていうモノを根本の処で支えているのが「秤」である
ツマリ、「右のモノ」と「左のモノ」を、同じ!ということで、置き換えること
により、色んなモノゴトを、関連付けること
それを、視覚的に解かり易く表現したのが、以下の写真「秤(はかり)」
いま!世の中には色んな分野の「専門家」が存在し、アレやコレやと、
自分の出番が来るのを、手薬煉(てぐすね)引いて待っている??
だけど、単純な「重さ」比べであれば、良い!が、
必ずしも「目に見える」モノばかりを、数値化しているワケでは無い!
から、どんな論理の上に、それを「同じ!」としているのかを
よく吟味しなければ、間違った方向に連れて行かされる!!也
オマケ...
今年は、アチコチで「蝉(セミ)が鳴か無い」状況に有る?模様
そこで、お袋が朝、散歩して居た時に、道に落ちていた奴
を、ブローチのYoh!に付けていたので、激写!?した
蝉(セミ)
蝉の正面
写真を見ていると、6本足の前足一本が見えないので、
正面からも、写真を撮ってみた
すると、その「右前足」は、折れ曲がっていて、
所謂「奇形」な蝉だった模様
多分、この子は「蝉の一生」を、マットウには生き切れない蓮
数年の地中生活のアト、最期の十数日の間、「成虫」として生き、
その一生を終えるのが、一般的に「蝉」と謂われる昆虫
蝉から見れば、「外野手」な、人間の目から見れば、
今年は「異常に、蝉が少ない?」って見えるかも知れないが、
その蝉の何倍もの「蝉の子供」!? が地中で生きている?蓮で、
タマタマ、今年は成虫チームが少ないだけ?? なのかも知れない
モノゴトを判断!するときに、色んな視点&立場が有る湧け!!
で、それこそ「複眼」でモノゴトを判断しなければ、
何処かに「妖怪」が巣食って仕舞う?? のが、ヒトの世である...
それが巣食うと、「2本前足」が見え無く?なる!?