hot_eyes 雑記帳

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説明責任

せつめい・せきにん

それは「あんたの責任!」って言われると、案外みんな、それから逃げ出したいものだよね
何かを決めたら、そのことに関わる「すべて」を背負わなければいけないから
その判断が上手く行っていれば、何の問題もないけれど、すべてがそうなるとは、問屋が卸さない...

例えば「洋服なんかを買う」

そんなことであれば、あとで気に喰わなければ、まずは本人が着なければ良い
ちょっと自分で、それを買ったことに後悔があったり、そのことが自分で「許せない!」と思ったならば、
押入れの奥の方に入れて「肥やし」にする?
ビリビリに破って、ゴミ箱に捨てる?

金銭的に、少しでも「後悔感?」を取り戻す、あるいは「損をした!」という悔しさを晴らすには、
それを、どうにか口実を付けて友達なんかに売りつける?とか、
フリーマーケットで販売する?...etc.で治める

そのヒトの「後悔」の度合いによって、その対処法が分かれる
自分のことであれば、そうやって対処が出来る

あるいは、ご主人に黙って買った宝石が、偽物だった
そんでもって、そんなものを掴まされたことを言い出せなくて、二進も三進(にっちもさっち)
も行かなくなって、誰かに売り付けたら、そこで偽物だったことがバレて、話しが大きくなる...

あのとき、口車に乗らなければ良かった!
と思っても、それを売りつけたヤツはトンズラコイテ、連絡すら取れない...

自分で、すべての責任を感じで、小さくなっている
この状況から、逃げ出したい!?

そうやって「決めたこと」は、失敗すれば「その全部の責任」が自分に降りかかる

そしてまた「説明する」って案外、難しいよね
特に「文章にする」のは、大変だ!!

言葉で伝えるなら、ちょっとぐらい単語の順番を間違えようと、誤語脱語(=誤字脱字)があっても、その話しをしている場所では、それ以外のコミュニケーション手段がある!から、それほど「話法(=文法)」に拘(こだわ)らなくて済む
文章よりも、多くの情報が相手に伝わっているから、その部分は端折(はしょ)って、説明しなくても良いから、ある面では、トテも「楽ちん」

そこには、しゃべっている言葉以外の、その場所や時間などを含めて、色んな要素が伝達されているので「複数の情報」が相手に伝わっていることになる

次に、電話も、比較すると文章より「まだ!」伝えられる情報量が、多い場合が多い
最低限、その声のトーンで、そこに含まれる「感情」部分が解るから、字ズラにすれば「同じ言葉」でも、その意味が全然違うことが、伝わっているはず!?

けれど、不在だった上司への電話連絡を受けて、それを伝えた後、トラブルになったりすることがある
それは伝言のメモ書き、あるいは連絡帳には「字ヅラ」しか、書いてないから
だから「出来た秘書さん」なんかは、電話の話された言葉以外に「状況説明」などをちょっとプラスして渡すから、その後のトラブルを未然に防ぐことが出来る
それが、プロフェッショナルでもある

また「自分では分っている!」ことも、いざ文字にしようとすると、とっても難しい
特に、履歴書なんかは、そこに「自分のすべて」あるいは「有ること無いこと」を描かなければいけないから、大変!

それを見る方、例えば人事部の人間なんかは、自分で何十年も履歴書を書いていないし、何十人あるいは何百人分も見て、それをジャッジしている
中には、ちょっと感覚がマヒしていたりするヒトも、いたりする!?
ある種、感覚が「右から左へ、受け流す」の世界に入っている??
中には「報告書」っていうものスラ!自分で何年も書いていなかっりするから、冷酷になれる??

だから、説明を受ける立場よりも、説明する方が「何倍も大変 !! 」なのである

∴(ゆえに)セツメイ+セキニン=最兇最悪 !?
そんな風に、立場によっては「嫌~なモノ」になる

だから、それをやらなければイケない立場のヒトにすれば、
「説明責任」なんてコトバは、聞きたくもない言葉

昔のように!? 「上意下達」の時代なら、黙って言われた通りにしろ!の、ひと言で済んだ
だけど、色んな場面で「説明」が必要になったのが、現代の「世の中」

いまは、学校のセンセイも、子供たちに色んなことを説明しなければ、行けてなくなった
「それはキマリ!だから」とか「教科書に書いてあるだろ?」では、済まなくなった
まして、子どもの後ろには、モンスターたちも控えている

そして公務員さん達も、住民サマに、色んなことを説明しなければならなくなった
「前例がない!」とか「それは法律で決まっているから!」とかの説明では、みんな納得しなくなった

まして「国家公務員」

今までは、過去の時代の誰かが「決めたこと」をナゾ(謎)ってやって来たけど、今は新しいことをやらなければならない
まして今までの仕事は、自分じゃない「過去のヒト」が決めた事と思って、自分には責任がない、他人事を決め込んでいた

だけど今は、そんな他人事と思っていたことの問題点、間違っていたことが、ボロボロ綻(ほころ)び出してきた
そのことの「説明」をしなければならない「責任」は、あなたにある!と、みんなに自分が責められてる

今までの、伝言ゲームのように、私のやったことの「責任は上司にある」って、みんな「後ろに、受け流そう!」としたけれど、今はいつの間にか「後ろのカード」が居なくなっちゃってる
けれど結構、いまも続いているシステム!
(それは「明治維新から」のものだったりする
??)
それを作った、最初の言いだしっぺ!?の「そのことを決めた最終責任者」は、すでに亡くなっていたりするから、もう後ろには誰もいない??のは、当たり前

それらのことすらも解らないでいるから、みんな「鳩にマメ鉄砲」な顔になる
自分でも「なんだか解らない!!」な顔になる

本質的な問題は、いま自分が背負った立場の「責任」を、自分で理解しないまま、その責務に就いたことが、Oh!間違い
事前に、その「立場の責任」について、前任者から「説明」を受けないで、その立場になってしまったから、世の中おかしくなった

だけど、いまは、その立場では「自分の責任を説明」しなければならない立場
過去のヒトが悪い!と言っていも始まらない
今は、その責任を「自分が背負っている」はずなのだから
胸に手をあてて、もう一度、考えてみろ?である

そして「国会議員」

いま、勝ち誇ったかのように「説明責任!」を御旗に、ここに来て急に、
今までの「国の行政責任」を背負ったヒト達を責め裁てているヒトたちがいる

そのヒト達にも「ちょっと待って!」と言いたい

確かに、みんなに隠れて「悪行三昧」をしていたヒトは、確実にいる!
だけど、貴方たちも「昨日今日」国会議員になったワケではないでしょう?
今までの経過に於いて、気付かなかったの??である

その中には過去「大臣経験者」も居れば、行政の立場の「与党の一員だった」ヒトもいる
何故?そのとき、いまと同じ様に、国家公務員たちの間違いを正してあげなかったの?
いまの「感じ」って、彼らの「他人事体質」とまったく同じ臭いがするのは、何故??

何か、どいつもこいつも、自分は棚の上に置いて、
「他人の事」ばっかり!言っている
そんな駄々っ子に見えるのは、私だけだろうか?

そんなに「日本」っていう国の『棚』は、頑丈には出来ていない!
と思うんだけどな??

みんなで、ちょっとお家に帰って「反省会」を開いてみたら、どーよ!?


ほっとあいず
2008.04.04

以上は、ちょっと長すぎるので、数日後「駄文!?の海」に収納予定