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Virtual (バーチャル)


「仮想な」ということ
『Real』という「現実的な」「実際の」の反対語として用いられる

Virtual World (バーチャル・ワールド)は「仮想の世界」

今の世の中では、主に「コンピュータの世界」のことを指して言うことが多い
また、それは意外と「否定的な意味合いの気持ち」が含まれて、使われることが多い

やっぱり、コンピュータの世界はニセ物だからね、と

つまり「ウソ臭い」「あくまでも、そこは実際の世界じゃない」という気持ちで使われている
「目に見えない世界じゃん」なものだから「信じちゃダメ」だよと

だけど「仮想な世界」って、コンピュータの世界だけだろうか?

「仮想の」「目の前にない」を大きく括れば、
電話だって、そう
テレビだって、そう
写真だって、そう
書物だって、そう

それらは、すべて現実的には「そこにはない」

実際には「電話の相手は目の前にいない」ワケだから、テレビや写真に写っている映像は「自分の目の前にはない」し、小説の世界は「実際に目の前で起きている」ワケじゃないから、すべて『ヴァーチャルな世界』

目の前に相手がいるならば「電話はいらない」
「どこでもドア」があれば、テレビや写真は必要ない
書物上の出来事が常に目の前で起きていたら、うっとうしくてしょうがない

だけど意外とみんな、それは「否定」しないで「現実」として受け止めている

だけど「但し書き」があって、
電話の相手が「声色を使って」違うヒトが電話の向こうにいるかもしれない
テレビも写真もアングルや切り取り方で「違うもの」になる、実際は「現実すべて」がその中に埋め込まれているわけではない
あまりにも現実っぽい小説には「これはフィクションです」という但し書きがワザワザ付いていたりする

そうやって、みんな乗り越えてきた

電話やテレビがこの世に生れて来たとき、それに初めて触れたときヒトは「お化けじゃ!!」と信じなかった
だけど、その向こうにウソがあるかもしれないけど「それは現実」と受け止めた

小さな子どもは「どうやって、あのヒト達はあの箱の中に入ったの?」と聞いてくるが、しばらくすると「テレビを現実」として受け止められるようになって、そんなことは聞いてこなくなる

あくまでも「小説は物語である」と思うことで、それを読んで「仮想の世界で遊ぶこと」を覚えた...
アタマの中に余韻は残るけど、本を閉じれば、そこで起きたストーリーは現実とは「関係ない」に出来る


そして、もっと大きく括れは、
「言葉」だって「お金」だって、それらはすべて「仮想の」もの
それらを「みんなが現実として信じている」から、共有できているだけに過ぎない
色々な手を使って、それを保証できるようにしているから「現実として」存在する

日本語という「言葉」が通じるから、同じ映像を頭の中に想像出来て、同じ現実を共有できる
この紙切れは「紙幣」であり、何かと交換することが保証されているから「お金」であり続けられる

人間の中で、相手の言っていること、もっている紙切れを「現実として」翻訳することが出来るから、一緒に使っていられる
それらを「お互いに現実と信じることが出来た」から、一緒に使うことが出来る

一緒に生きていられる...


確かに「コンピュータの世界」は、もっと解りづらいし、もっと多くのモノゴトを「その中」に取り込むことが出来る
そして、その世界の中でより多くの出来事が出来るし、起こっているから、実際は見えないことが多い

また、ある面「鏡」な側面もあるから『怖い』

だけど、だからこそ「可能性」がある
より多くのヒトで「みんなで共有」できれば、より多くの「みんなで同じ世界に住むこと」をサポートしてくれる
「同じ時間、同じ現実」の中で生きることを手助けしてくれる

あとは如何にして、コンピュータの世界を「信じるに足るものにするか?」である

まだまだ人間がコンピュータを手にしてから30年程度
色々なところと繋がっているし、色々なことをやってもらっているから、ちょっとした失敗が大ごとになることもある

また目に見えないところが多いから「余計なことをするヤカラが溢れていること」も事実
だけど、使う方の「考え方」で、それらは乗り越えられるはず

その可能性を信じて、もう少し時間を掛けて
「知恵と工夫」で乗り越えれば良い

「人間は考える葦」なのだから...