塵(ゴミ)
ゴミの定義/
必要でなくなったもの
あるいは、邪魔なもの
あとは、壊れたもの
ひと頃「使い捨て」が流行った
「大量生産大量消費」と言われた時代
何となく、使えるモノでも捨てて、新しいモノを買うのが「裕福の証明」のように思い、バンバン!?モノを棄てていた
「夢の島」とか、作っちゃたりしながら、そこにモノを捨てることが、ドリームだった...
もう一つの「昭和」の肖像
人間の屑(くず)
昔は、人間も捨てていた
クズ呼ばわりされたら「村八分」になった
行くところがないヒトは「極道」という893の世界へ行くときもあった
トシを取れば「ウバ捨て山」
余分な女の子は「遊郭」男の子は「相撲部屋」
あるいは、旅芸人やサーカス、芝居小屋...
キレイごとで言えば「丁稚奉公」
だから昔の芸人には「〇一郎」という名前は見かけない
大成したのは、団十郎とか勘三郎で「一(いち)」は付かない
それでも、捨てられたヒトの生きる場所があった
一方、捨てた側の場所では、出来るだけ「一」の付いた者を大事にし「二」「次」は予備、「三」は念の為...の順番で育てられた
その方が解り易いから
それ以外にも「右&左」とかもあった
そんなことだから、人生の中に、色んな「別れ」があった
そこに「感謝」や「涙」があれば、救われる
あるいは、ハングリー精神という「こん畜生!!」な気持ちで、その状況を乗り越えられれば「美談」の発端になる
けれど多くの別れは、そんなキレイごとではない
あるいは「有り難い」というココロまでを捨てしまうことまである
また、捨てる側は案外「ドライ」に割り切れるもの
だから、色んなところに「キズ痕」が残っている...
今は「Re- 」の付く、リサイクルやリユースなど、ゴミを出さない時代になってきた
だけど、みんな捨てることに慣れてしまったモノだから、どこかに、その癖が出る
排除の論理
相手の存在そのものを「否定」すること
言うなれば、ココロの中で、捨ててしまうこと
何となく、エンガッチョ(縁が切れる)な感覚
バイキンがうつる!な距離感
その上「競争の時代」であるから、徹底的にやってしまう
負けたものはどこへ行けば良いのだろう??
どこかで「ノーサイド」の笛を吹かなければいけないのかも知れない...
from K-tai