はくらいひん
昔むかし、「新しいモノ」は、船に乗ってやって来た
必ずしも、それが客観的にサイコー!なモノでなくても、今まで見たことがなければ、誰かがソレを「凄い!!」って言えば、みんなが有り難ガッタ
確かに、今までソレは、その場所には無かったもの
だから、正に、有無を言わさず「アリガタイ」と言えないこともない...
今までとは、違うこと
それは、あの岡本太郎が言った、「何だ、これは!」が芸術である
ということと同じで、それは、その存在そのものが、知的好奇心、あるいは、何らかの刺激を脳に与える
「脳は刺激を求める存在」だから、それを刺激するには「何かが違う」ということが、イチバン分かり易い
また、それは新たな発見!である
だから、何らかのフロンティアを、脳の何処かに創っている
そして、ソレが今までとは違うこと
それを理解出来る、そのための「尺度」を持っていなければ、それを理解することは出来ない
そして、それらを新たに創るためには、「今まで」を知らなければ、創ることは出来ない
だから、多くの「芸術」と言うモノは、その時代の「都」と言われた所で生まれることが多かった
そこには、色んなモノが集まっている
だから、「今まで」を理解するためには、そこに行かなければならない...っていうことでもあった
けれど、今までとはまったく違いモノは、突然変異的に、そんな「都」とは違う、辺境で生まれることもある...
今の時代の「世界の尺度」
その多くは、ヨーロッパの都市から生まれている
そこでは、まず「都市が国家である」ってことで、アテネ、ローマ、パリ、ウィーン、ロンドン、ニューヨーク...etc.
それ以外にも、その時代をリードした、スペインやポルトガルの都市、埋もれてしまった街も在っただろうが、そこから新しいモノは生まれて来た
黒い船が日本に来たとき以来、あるいは密かに「南蛮貿易」が行われていた時代
その時代から、日本人は、ヨーロッパ発!なモノを「舶来品」と言って、有り難がった
それまでは、「舶来品」と言えば、中国発!あるいは韓国発!なモノであり、それを有り難がっていた
「移り気な性格」な日本人は、すぐに?それまでのことをすっかり忘れて、新しいモノに飛びついてしまう...
一方で、ここのところ、世界で「日本の持つ価値」が評価されていることは確か
今まで値段!っていうことで考えて、有り難がっていた「舶来品」
例えば、洋酒と言われるウィスキーなど
それまでは「手の届かなかったモノ」が、今では国産品より安いモノがたくさんある
例えば「世界の基準」で計っても、『山崎』なんかは、世界に誇れる酒である
だから、国産品の手間暇かけて造った酒は値崩れもせず、それでも世界で売れている
タバコにしても、マルボロだろうとラークだろうと、国産品と値段は変わらなくなった
一方では、マイルドセブンは「世界の煙草」になっている
色んな努力の賜物が、ニッポンの価値を上げ、世界の標準となっている
そして、今まで、それを「有り難がっていたこと」を忘れてしまって、あるいは、いつの間にか、その分野で「世界と肩を並べている」から、、日本の「国産」は偉い!って言って、モノを買うときは、その表示をみんなが確かめる様になった
だけど、経済は繋がっている「世界中」で廻らなければ、やっては活けない...
確かに「壁を作ること」あるいは、何らかの「意図的なモノゴトを造ること」
それが政治であることは、確か
何となく、ある面、単純化された「尺度」で動いている、今の世界
それが、幼く観えるのは、私だけ!?