hot_eyes 雑記帳

オフィスに掲載しない「小ネタ」を描く場所

     リスト まとめ You TUBE

規格(きかく)


みんなで一緒に使うものには、必ず共通した「使用法」あるいは「形式」あるいは「作法」がある

新しく作られたものや、今まで無かったものであれば「新しく」作ることになる
まだまだ発展途上の「コンピュータの世界」では、ハード面でもソフト面でも成長の終わりが見えないから、他の分野のように固定した「規格」が確立していない
だから、混乱しているのも事実

だけど、それらの繰り返しで、今の「世の中」がある

「業界用語」なんかも、それぞれの分野で働くヒトたちが、お互いの会話の中で「この言葉は、これを指す」という統一したものが必要だから生まれてくる

だから、同じ言葉でも「業界が違えば、違うことを指す」

「エンターテイメントの世界」では遊びココロが必要で、俗に「ギョーカイ」と言われる芸能界では、そこで隠語として生まれた言葉が「ギョーカイ用語」として広まったりする

工業製品などは「JIS規格」、書類を作るなら「書式」、色んなヒトの間を渡り歩く書類なら「様式」など、色々な『決まり事』がある
いちいち「1から物事の形式を合わせていく」と、それだけで日が暮れてしまうから、みんなでこういう時には「こういう風にやりましょう」を決めて、無駄な時間を省く

その方が、やり易い

だから「規格を合わせること」が出来れば、同じところに「みんな固まって作業をする」必要がなくなる
極端な話し、地球の裏側で「同じ完成品」のための部品を作ることが出来る
だけど、それを支える「生活様式」が違ったり、精度に関する考え方が違ったりするから、いちがいに「規格を決めた」から、すべてがうまくいくわけではない...

また音楽でいえば、一番の根っこのところに、ドレミという
「音階」があり、それぞれのジャンルに「こんな感じ」のフレーズというものがある
大きなジャンル分け、クラシックとかジャズとか、歌謡曲とかJ-POPとか、それぞれのジャンルには「基本形」がある

それが「フレーズ」

「ユーミンっぽい」とか「サザン風」とか、これって「ミスチルだよね」とか、やっぱ「コブクロのここだよね」とか、どこかの1小節あるいは、サビの部分などに必ず、それらしきフレーズが入っているから、安心して聞ける

これは誰の曲か?が分かる

「演歌の世界」なんかは、いまだに約4-50年前に確立された「古賀メロディー」とか「服部節」みたいなフレーズを使い回しているから、どれを聞いても一緒に聞こえる
私なんかは、1番を聞けば、その後は「歌詞カード」があれば、2番3番はみなさんと一緒に「ご唱和」出来てしまう...

言っちゃ悪いが、遠藤実先生とか、岡千秋先生なんかのフレーズは、みんな一緒!
最初「こう入れば」そのあとは「こう来て」さ、終わりは「こうなるよね」が見えるから、安心して聞けるけど、どれも同じ

だから、コブクロの1枚のシングル売り上げと、演歌業界の全部の売上が「一緒!」とかになってしまう

どうにかしないと...日本のココロ!!

※だけど「それだからイイ!!」のかもしれないんだけど、そこに関連して働く人間が多すぎるのかも??...ね


その他にも、もっと身近な例でいえば、書類の「A規格とB規格」

十数年前に公文書の規格が、日本独特の「Bの世界」から、世界標準の「Aの世界」に変わった
私なんかも「事務職してた」から、本棚にある「それまでのB群&新しいA群」の2つの大きさの違うファイルの保管の仕方で、ケッコウ頭を悩ませた

簡単に、規格を変えられても困る!ことも事実

だけど「みんな」と合わせることも必要
そのためには、どの範囲の「みんな」に合わせるか?の哲学が必要
ある種、身体の小さかった日本人、島国だった日本のことを考えて作られた「B規格」は画期的だったことも事実
だけど...になってきた


先に進みます...

もっと『私ごと』に入って行けば「武ちゃんとの旅」で、色んな処でパンフレットを入手してきたが、規格がバラバラで、ファイリングするのにひと苦労した

いくら一生懸命つくった「厚さ5mmの町の紹介パンフ」なんかでも、そのままではダメ
「美術書」じゃないんだから「もっと軽く」しなければ...

「重い、ガサ張るもの」はそれをもらったヒトに、荷物が多くなって来た時点で「すでに旅行中に捨てられる」か、家に帰って「即、ゴミ箱行き」が見える...
「その場限り」で読み捨てられずに、いつまでも保存してもらい、あとで読み返して欲しいなら、いまなら「A4サイズで見開き4~8P」ぐらいにまとめるのが基本だと思ったりする
(ただし個性がないとダメだけど)

それ以外は「却下!」な気分
全部ゴミか???


まだまだB規格全盛時代!?の学校の「B5サイズの書類」は、もうそろそろA4サイズで作らないと、ますます時代に乗り遅れる
B系で書類を作っていること自体、すでに時代遅れだし、そのことだけで「私は他のヒトのことを考えていません」を宣言しているようなもの

ヒトに物事を教える『学校』が、それで居て「どうする?」

「子供たちにとって、重たい」と言うのなら、厚さを薄くするなどで対処すれば良い
冊数が増えて、そのために忘れ物をしたら、もっと隣りのヒトの本を見易くしてあげれば良い??
その前に、持って歩くものを減らすのが先!?

もっと「地域のヒトと一緒に歩く!」なら、小さいことかも知れないが、そんな『肌触り』の部分から積み上げていかなければ、誰も振り返ってはくれない...
「逆に、世間に背を向けている!?」と取られてしまう

そんな事は、誰もこんな風に分析はしないし、みんな口には出さないけど、
「何となく感じている」こと


と言いつつ、そして...

ギョーカイが違っていても、世界の法則または摂理は、意外と「一緒」だったりする!?


以上、何か「長々な文章」になってしまった
ちょっとだけ反省...