もしかすると、ニンゲンは、とっても厄介(やっかい)なモノを持ってしまったのかも知れない!?
世界を映す「鏡」としての、脳
それは、より強い刺激を求めてしまう
たぶん、それを持たなければ、人類というものは、こんなにも地球上に蔓延(はびこ)らなかったし、もっと悩まなくても良かった??
...そして、色んな処で、みんなが考える様になったから、色んなモノゴトが複雑になった
確かに、この世は「劇場」の様なもの
その舞台に登場しないで「観客」で居られるなら、場面展開は、より劇的!?な方が面白い
だから、みんな「他人事なコト」には、冷淡で居られるし、観客なら「あぁ、面白かった」で棲む!?
色んなマス・メディアによって、色んな「他人事」が流される...
だけど、感受性の強いヒトは、他人事じゃない!って思って、DOにかしなくちゃ!!って思ったりする
だから、それも「鏡に映った風景」であり、そのヒトが「紙面や画面」に載っているモノゴトを、自分にとって DO 捉えるか?によって、全く違った景色になる...
すべてのモノが、諸刃(もろは)の刃剣(やいば)
色んなモノゴトには、二面性がある
色んなモノゴトには、それに関わる「そのヒトの視野や視点、立ち位置」によって、最低限「2つの風景」がある
例えば「○○事件」の場合は、最低限、加害者と被害者の立場がある
それぞれの立場によって、その事件の意味合いは違ってくるし、この「人間界」の日々は、その積み重ねで出来ている
また、どの時点!で、その「事件」として切り取るか?によって、その事件そのモノの意味合いが違ってくる場合もある
そして、直接そのモノゴトに巻き込まれていない立場でも、積極的に関わるか?無視するか?の違いがある
それと、もう一つ、そのモノゴト自体を、囃(はや)し立てる!っていう立場もある
ゴシップ記事やパパラッチ
確かに、この世の中には「不条理」なことが、たくさん溢れている
また、見る角度によっては、ココロの底では「羨ましい!?」ってことがあったりする?、
だから、ヒトの失敗や、不幸は蜜の味!?って思ったりする??
今の世の中は、みんなが刺激を求めているから、あの人には、あんな面がある!って言って、挙げ足を取ることが流行っている...
そして、足元すくった相手の、色んなモノゴトの落差が大きければ大きいほど、面白い!と思ったりする
だけど、結構、そんなこと自体が自分にとっては「まったく関係無いこと!」だったりする
そんなことに一喜一憂している間に、本当は「関係大アリ!な事」がオカシクかって来たのが、今の世の中だったりする????