明治維新
明確にみんなが知っている、あるいは解かる日本国内で、最後に!行われた「日本」っていう国を2分にして争ったアトの、社会システムの名称
「江戸幕府」っていう社会システムが機能不全に陥り、また欧米諸国が「黒船」っていう鉄製の船に乗って来て、鎖国っていうシステムで、パラダイス化していた大和の国の在り方を根底から揺れ動かし、それに対応するために、造られたモノ
それは、多くのヒト、物語の積み重ねの上にカタチとなった...
それが成立するまでには、多くの流れがあり、ときに「いくつもの繋がり」が生まれ、最後には「2つの流れ」に集約されて、勝敗が着き、勝った方が「官軍」になった
だから、必ずしも「明治維新」のすべてのモノゴトが正しかったワケではなく、色んな「色」がその中に含まれていた
また、まず評価しなければいけないのは、2つに分かれた「幕末の志士」たちは、それぞれに「良い国を創ろう!」と主体的に考え、それを元に行動していたということ
モノゴトの主導権を執った方が、絶対的に「正しい」のではなく、常に「自分の中で研鑽していく」
それを忘れたときに、腐り出す...
それこそ「勝ち負けは、ときの運」
明治維新を支えた者たちが、敗れた者たちの「遺志」をちゃんと汲み取り、それを生かしていったから、日本が「欧米の植民地」にならずに済んだ
その中には、日本の持っていた「和」の意識が受け継がれていた ...ハズ
それでも、明治期の後半には、腐り出していた...
いつしか「勝った者の奢(おごり)」に染められていった
すでに明治時代後期には「カタチだけを守ろう」あるいは「カタチだけ模倣しよう」とするものが現れていた
それこそ、モノゴトの本質を確認せず、官軍の言う事を聞け!状態に陥っていた
確かに、その立場にならなければ、出来ないこと!って、絶対的に在る
だから、この世は「主導権争い」が絶えない
けれど、絶対的に「正しい」ってことは、無い
モノゴトも、時の流れで「意味」を変えて行くもの
「より正しいことへと、向かおう!」とするベクトルを失ったとき、モノゴトは腐り出す
色んな「歴史」は繰り返すモノではあるが、繰り返さない方が良いモノは、もうソロソロ止めにしたいと思ったりもする...