ボランティアは、特別なことだとは思わないのです
普通に、すぐそこにある...
日本の場合、「ボランティア」というと、すぐに「お金」のことを持ち出します
若い人は、それって、お金が出ないから遣らないと言うし、年配の人は、お金をもらってないことにプライドを持っていたりします
けれど、そこに判断基準を持っていて良いのでしょうか?
英和辞書で「Volunteer」を引くと、
名詞としては「志願者、有志者、志願兵」
動詞では「自発的に申し出る、自ら進んで提供する」
となります
必ずしも、金銭の授受に重点を置いていないのです
私は「ボランティアは、相手の思いを受け止め、その人がして欲しいことを進んでやること」と思います
確かに、困っている人は金銭的に苦しい場合が多いでしょう
けれど、だからといって「ただでやってやる!」という思いで関係した場合、そこには、何らかの上下関係が出来てしまいます
同じ目線で付き合うことは出来なくなる
日本で「ボランティアが普及しない」のは、そこに課題があるように思います
ともに生きる上で、相手に出来ないことを進んでやる
そこには「有償で行われること」でも、お互いの関係がフラットになるのであれば、お金を払うこと、受け取ることに、何ら問題はないと思うのです
ある面、日頃の関係においても、相手の気持ちに立って物事をすれば、そのままボランティアになり、普通に行われていることが、街全体に普及していれば、それは「良い町」だと思うのです
美幌が、片意地を張らないで「普通に」ボランティアに溢れていて欲しいと思うのは、私だけでしょうか?
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