頑張れ!ニッポンの「学ぶ」ってことの、基本的な項目
本当は「読み&書き」にプラスして、「話す」あるいは「表現する」が必要だった
けれど、ニッポンでは、何処かに「沈黙は金なり」とか、言葉を大切にしろ!とかいう考えがあり、余りにも大事にし過ぎて、誰も「そのモノ」を教えることが出来なくなった...!?
そして、箸にも棒にも掛らない、単なる「噂話文化」だけが、発達して今日に至ってしまった??
また何処かに、ある種「言葉は、イコール(=)命令!」観があり、
無駄口は叩くな!とか、俺の言う通りに遣ればイイ!とか、
自分より「下」に見ている者には、しゃべらせない文化がある??
例えば、何処ゾの「民○党」っていう、本人たちは「自分たちは民主的な政党だ」って思っているらしい政党
だけど、イチバン大切なときに、その傾向が出て終うのは、DO YOU KNOW?
黙れ!の文化
それは、ちょっとだけ、言葉以外の伝達方法を重視した「禅」の教えが、影響している!
って、私は色んな方面を含めて、睨んでいる!?
... だから、裁判の世界では、重い口を開いた「自白」っていうモノを重視して来た
また、告白とか激白!っていう言葉が、色んな週刊誌の紙面、あるいは、最近そこまでの「テロップ表記」は必要ないだろう!?な感じで、たくさんの文字が飛び交っているテレビ業界など、マスコミの常套手段
そんなこんなで!どうしても「学ぶ」ということは「≒書く&読む」ってこと、そこに!!重点が置かれてきたのが、日本の有り様
色んなガッコウの先生たちも「書く&読む」には自信があるが、結構「≒話し下手」なヒトが多い
... てことが、その証拠!?だし、上手く「英会話が教えられない」のも、その所為!
で、一方では、算盤(≒十露盤)そのモノも、忘れられて来ている
そして、他方では、確かに「計算高い人間」は増えいる!?
あのCASIOの電子電卓およびパソコンの普及
そのことで、色んなモノゴトの計算速度は、飛躍的に進歩した
けれど「個々人の能力」としての、算数レベルでのモノを含めての、計算力は、それに反比例して退化している!?
確かに、換わりになってやってくれる物があれば、それを頼ることも必要なこと
だけど、ソロバンという物に触れることで得られる、世界観
「結果だけで判断する」のではなく、その過程で得られるモノがある
その昔「庶民の教育」が、国レベルで始まった、明治の時代
その時点では「辞書」には書いていなくて、気づかなかったモノ
すでに「自然には有った!」から、その大切さを感じなかったモノ
そして「読み書き」だけでは伝わらない、ときには「言葉」ですら表現できないモノがあった
確かに、現代は、色んな伝達方法が在る
けれど「それが在る」だけでは伝わらないモノがある??
そのことを、日本の「教育」は何処かに忘れて来ている!
って、いま、ほっとあいずの視線は「観ている...」
だけど、裏を返せば、いまは色んな「道」が有る!
それを進んで行けば、何時かは辿り着けるはず
...なんだけどネ ツ(^o^)シ