公私混同
自分で額に汗して、手に入れたモノは大切にしたい
けれど、すでに「そこにあるもの」は意外と粗雑に扱ってしまう
「みんなのもの」
それは何となく「そこにあった」ように思えるから、「自由にお持ち下さい」な感じで、必要でなくてもお持ち帰りしたくなるし、扱いも雑になってしまう
「公私混同」
それは「公けなモノ」を自分のもののように思って、勝手にお持ち帰りすること
しかも、自分だけで使おうとすること
一般に言う「会社」の場合、コスト意識があるから、無駄を省くために「公私混同」に対しては厳しくならざるを得ない
特に「コストを削って!」の現代にはより「有り得ない!」モノ
また現代は「オーナー社長」も減って来ているから、より「公私混同」な状況は減っている
「俺が集めた金なんだから、どう使おうと勝手だろう!」と言えるヒトそのものが減っている世界
その「公私混同」が罷(まか)り通ることにある面、依存してきた「相撲協会」などの『タニマチ社会』は、徐々に収入の道を断たれて行く
だから、今までの「大きなガマ口からドン!」を当てにするのではなく、それこそ少しずつ広く多くのファンを集めて「入場者収入」を当てにするシステムを構築しなければならない
「組織体の体質」も含め、この際、大きく生まれ変われなければ「相撲」という日本の国技は失われてしまうだろう
それと同じ状況な「社会」は他にもたくさんある!
それはさて置き...
「公共事業体」の話し
ここは、強制力を持った「税制度」というシステムによって集められた『みんなのもの』が支える世界
だから、どうしてもそれを集めて使う側には「汗」が見えない、あるいは見え辛い
時として、その使い方が「雑になる」
一生懸命、無駄を省いているようでも、どこかに自分では気がつかない「無駄」がある
自分の姿は、自分では見え辛いから、曇っていない「鏡」が必要
まして「天下り」
額に汗の「あ」の字も見えない存在
何も生み出さなくても、財布が膨らんでいく「打ち出の小槌」を、そいつ等に持たせるようなシステム
これが一番の勘違い
それのために幾つの「公共財」が食いつぶされたのか?
今はそれを排除することが、一番の「課題」
「福祉国家」の先進地の東ヨーロッパでは、所得税率が20%を超える
けれど、それをちゃんとストックして「正しく使っている」から、みんなが納得している
だから、個人の「貯蓄率は低くても大丈夫」なのである
「長生きを楽しめる」システムが確立されているから
庶民!?が「利子」を当てにして、爪に火を灯して貯めた預金の『夢』
それを弾けさせたモノどもが、のーのーとしているシステムのままでは、それ以外を手直ししても『ザル』
水漏れがあるままでは、いくらストックしようとしても、何も溜ってはいかない
「誰のため」の福祉国家を目指すか?である
形だけ整っていてもココロが入っていない「入れ物」は、所詮バーチャルな存在で、みんなに実感を持ってもらうことは出来ない
単なる「タヌキとキツネの化かし合い」になるのがオチである
ここにも「無限地獄の口」が開いてしまうのである