amateur-izm
柔道 or JUDO
柔道家だった井上康生は、JUDO-MANの石井慧たちに、勝てなかった...
棟田康幸も、鈴木桂治も、その前に苦渋をなめた...
その上、国際柔道連盟の理事選で、あの!山下が落選していた ...
それも、一つの「道」
その昔オリンピックで、日本の柔道が、アントン・へーシングに負けた...
そのときも、大騒ぎだった
そのときは「パワーで負けた!!」と、イイ訳が出来た
だけど、いまはそれは通用しない
日本人の多くが手本としている、アメリカでは、ちょっと地味な!?JUDOは、KATATEやテコンドーよりもマイナーなスポーツらしい
だけど、ヨーロッパでは結構、メジャーを張っているらしい
技の研究も進んでいて、色んなヨーロッパに伝承されてきた武術のエキスを注入しているらしい
今までは、よくテレビで、レスリングとの違いなどを比べることをして来たが、もっとディープに色んな技や戦略が、ヨーロッパでは編み出されてきているらしい
今回の大会の重量級で優勝した、石井クン
まだ、21才らしいが、スッゴイ勉強家らしい
ヤンチャっぽい!?けど、ケッコウ読書家だ
それにブラスして「あの耳」
思い切り、練習していることを物語っている
そして、冷静沈着に分析して「勝つ」ことを知っている
何故、柔道がJUDOに後塵を拝し出したのか?
それは、簡単に言って「綺麗ごと」を、幹部のヒトたちが追求し過ぎているから...
確かに「道」はある
けれど、スポーツの「勝負の場」では、自分たちの「道」を求めてはいけない
そこで、求められているのは、貪欲なまでの「勝つ!」ことへの意志
そして戦略と技術&体力
確かに「試合」は修練の場
だけど、勝たなければ意味がないところでは「勝つために、どうするか?」が、第一義的なことであり、自分たちの求める「美しさ」は必要ない
それが、掟(おきて)であるし、国際大会の「畳の上」に上がった、あるいは、そのずっと手前の「試合に出ること」を決めた時点から、すべてを「そこで勝つ!!」ことに集中しなければならない
確かに、人間としては「井上」の方が上
だけど、JUDOの畳の上では、彼は石井には勝てない
それが現実であり、日本にある!美ミョーな!? 綺麗ごと
それを求めているウチは、世界には通用しないことに、気付かなければならない
第二次世界大戦で、なぜ日本が負けたか?
その理由の多くの部分は「世間知らずだった」ことに依るが、やっぱり綺麗ごとを求め過ぎた
巌流島の決闘
佐々木小次郎と宮本武蔵の「勝負」から、多くを学ばなければならない...
勝負というものはそういうもの
「優しさと、甘さの違い」と同じものが、そこにある...
最近、アマチュア感!?の代表だった、ラグビーが面白い
何がイチバン変わったか?というと、役員連中の「アタマの中」
基本的には、スポーツは観てもらって、何ボ!?の世界
それに気付いたから、すべてが変わった...
「道」を究めるのは、それぞれの修練の場所だけで良い
それを「JUDOの畳」の上に持ち込んではいけない
自分が美しい!と、勝負の勝ち負け!!とは、違うところにあるもの...
柔道は本来「柔らかい道」なはず??
その本質を忘れて「頑な!」になっているから、世界に勝たなくなっても、当たり前
それこそ!「道を歩くココロと一緒」に「考える葦(足)のアタマ」も、柔らかく!! しないとネ