プロフェッショナルとアマチュア
あの北京オリンピックで金メダルを取った、柔道家の石井慧が、引退した
まだ、21才
アスリートとしては、怪我や病気が理由ではないから引退する年齢じゃないし、まだまだこれから!である
一方、つい最近では、あのQちゃんこと、シドニー・オリンピックの女子マラソンで金メダルを取った高橋尚子も、引退している
印象的だったのは、彼女が拘った「プロの走り」っていう言葉
Qちゃん自身が納得できる、そして「Qちゃんが、Qちゃんである証明」は、やっぱり記録の上でも、勝負に於いても、世界NO1は誰だ!っていうラインのトコロで争っていなければならない
それは「日々の健康のため」とか「頑張ったから許される」っていうものではなく、走るということを仕事にした「チームQ」を創った時点から、自分に課せたノルマであり、それが出来ない!と思って時点での判断である
至って潔く、やはり「道を極めよう(≒究めよう)」とする人間の清々しさが、そこには在った
お疲れ様である
日本人の得意な「○○道」あるいは、アマテュア-ism
本来それは、自分に課す「道」であり、他人に求めては活けないモノ
そして、その「道を歩む」ということは、元来「自分だけ」のモノゴトだから、それは生活するため!の糧には、もともと為らないもの
だけど、他人を教育したい!?向き、その傾向が強いヒトには、すぐに「道」を持ち出したい、あるいは、その「糧」にしてはいけない!っていうところだけを強調したいモノらしい
確かに、明確な判断基準を持たない子供には「ちゃんとした教育」をしなければならない
そのためには、明確な「大人像」を持って、そこまでの「道程」を示さなければならない
それは、ときとして「背中で語る」しか出来ない場合も多い...
そして、簡単に妥協して「同じ穴のムジナ」に落ちることなく、自らを律し、その上で他のヒトにもそれを求めるべきモノである
それが出来ない!なら、即、引退しなければならない??
いま!国技としての、相撲道の世界も右往左往している
いまの時代、それこそ、どんな「道」でも、それを極めるためには、その道のみを歩かざるを得ない
そして、その道を歩くためには、生きていなければならない!?
そのためには、その過程あるいは勝負の場を「SHOW(≒見せる)」ことによって、それを売る!っていうのが、いまの時代のやり方である
だから、そのSHOWな部分と、自分の道を極めるっていうことを分けて、考えなければならない
特に、格闘技の世界は、もともと命のヤリ取りの延長線上にあるもの
だから、それに色んな「掟」を創り、勝敗の付け方も含めた、ルールを決めて、それを楽しむ様にしてきたのが、現代の「遣り方」
みんなが皆、毎回ガチンコで勝負に行ったら、ケガ人続出になり、その業界そのものが成り立たなくなる
問題がある!とすれば、自分が積み上げて来たものを、おカネのヤリ取り「八百長」っていうことで汚している!って、自問自答しているかどうか?っていうこと
そして、それを、見て見ぬフリをする、あるいは見抜けない協会そのものが、大人か!?どかか?ということ
ある種、SHOWである以上、演出っていうモノ、あるいはストーリーがあった方が面白い
だから、何に対しても「マジメさだけ」を求めるのは、お門違いのコンコンチキ
「道」そのものは、それぞれの胸の内にあるべきもの
それこそ、日々の練習あるいは修練の中にある
それは、誰かの真似をする(ばかり)ではなく、自分で自分の中に創っていくもの
ヒトに求めるものでもなく、それは静かに「在る」ものであり、ちゃんと区別しなければ、観えて来ないモノでもある