ヒトの歴史は、分散と集中の繰り返し
アフリカの大地で生まれた「人類」という種族は、色んな「道」を、それぞれに歩いて、今日まで進んで来た...
「或る者」は、都市と言われる「中心地(≒センター)」で生きられず、其処から逃れる様に旅立ち
「或る者」は、知的好奇心という道具を持って、新しい大地「フロンティア」を求めて、旅立った...
また、逆に「或る者」は、人間のジャングルである「都会」へ、夢を求めて集まった
色んな「旅人」は、それぞれの「路」を辿って、地球という世界全体に広まった
それは、時に「都市」という処に、色んな「富」が集まる様に集中して、また其処から外へ向かって分散していった
そして、現在
色んなモノゴトが、それぞれのセンターである「都市」に集まっており、それは「集中」傾向の様に見える
確かに、それは「居住地」という部分、あるいは「情報」などの面では、例えば、日本で言えば人口のほぼ1/2は「都市」に住んでいるだろうから、そう!である
また、情報は、都市に集まってから、外へ向かって発信されるものではある
システムは、中央集権化した方が、機能的ではある
色んな「情報」が集まっている処で判断した方が、正解!に近い「未来予想図」を描くことが出来る
しかし、大きな視点でみると、ここのところ色んな面で、システムごと、あるいは個々人は「分散」傾向であり、それぞれが、それぞれの「道」を極める、あるいは、それぞれがエキスパート化する方向に進んで来た
色んな「道具」たちは、それぞれの所有物になり、自分のペースで使用できる様になった
また、誰もが「自分に関係アルこと」以外には、無関心になっている(≒ならざるを得ない)状況にある
その上『ヒトのココロ』という面でも、それこそ「都会の孤独」と言える、自分の存在がはっきりしない状態に、多くのヒトが置かれている
それは「取り換え可能」あるいは「選択される立場」に置かれているから、絶対に換わらない!という安心感はない
だから「誰でもイイ!」っていう事件が、たくさん起こっている
「自分の存在感を得ること」だけが、その目的の事件
「社会の傷あと」としての事件は、確かに自分が起こした!っていう結びつきが残る...
みんなの注目を浴びる、あるいは、まさに自分ため!の「事件」が、本人にとっては、必要だっただけ
だから、今までは必要とされた、あるいは「当たり前として存在」するはずの、起こるまでの過程(≒理由)あるいは、その被害者との関連性は、そこには存在しない
そして、○○モンスターが、色んな分野で出現!? している
「自分の視点」だけで、モノゴトを語る、あるいは判断する
その上、それを自分の「当たり前の権利」と言って、他のヒトにも要求する生物
それは、言うなれば、それぞれの視点での「想像力の欠如」
そこには、自分の視点しか!無い...
日々、マスメディアから垂れ流される、現実っぽい「情報」
それを眺めていれば、恰(あたか)も、この世界のすべて知った様に思えてしまうが、それ!だけではない
それは「いま、この刻(とき)」の一つの断片でしかなく、 その向こう側には、もっとたくさんのモノゴトが存在する
現在の自分が知っていることが、この世の「すべて」ではない ...
何かを創る
誰かが、それに価値を見出さなければ、無用の長物である
それに「意味がある!」と信じるヒトがいるから、それはソレとして存在する
すべては『信じること』から、始まっている
いま、このほっとあいずワールドに、個人として出来る範囲で、せめて「名前」だけ!?でも、この世をリンクしよう!と、色んなところの「旅」を続けている...