みんなが、一生懸命 「 立身出世 」をしようと、何かに取り付かれた様に、働いていた昭和の時代
既に、その言葉も、死語の世界へ行って終った?
そんな昭和の時代は、まだ!? 「末は大臣、お医者様」っていうモノが価値を持ち、「大きくなったら、何になりたい?」って聞かれた時の、『定番』だった
然し、いま!は、「大臣」は沢山居る!! 上、その扱いは、軽~くなり、お医者さんは、サービス業の括りに入り、常に「訴訟の恐怖」に慄(おのの)き、
『先生』という言葉は、尊敬の対象ではなく、逆に厭味(イヤミ)な隠語に変わって居る...
そんな中、いま!の、日本の「総大将」である蓮の、内閣総理大臣
余りにも、ノラリクラリと、軟体動物ヨロシク?
既に、その態(てい)を為して居無い!
当に!? 若かれし頃、自分が反対&否定!して来たモノと、
同じ穴の狢(ムジナ)化している
「デモクラシー ( Democracy ) 民主主義 」の、『D』を使ったロゴで、
旅立った『現場』に立ち会った人間としては、何たる体たらく化?で有る
その頃の、菅クンの声&言葉には、『魂』が有った
浅草での演説には、一緒に居た、鳩さんチームより、
腹に響く「芯」を感じるモノだった...
然か~し! いまの、困ったときの「鼻に掛かった声」には、ヒトのココロが感じられん
言葉遊びも、いい加減にしろ!也
市川房江 女史の下で、活動していた頃は、
その時の多くの若者に違わず、「立身出世」を目指して、克!何らかの『信念』を持って居た蓮
そして、また眼に見えて「これを遣ったヒト!」と言える、
厚生大臣の頃の、「 薬剤エイズ 」の顛末のあと、
それ以上の「ニッポンの課題!」を見据えて、民主党に参加した蓮では無かったの化?
一時期、そのセンターフォワードを辞めさせられたとき、
四国の、八十八箇所巡りで、キミは何かを、弘法大師(空海)に託されて、
元の鞘(さや)に還った!? のでは無かったのかい?
既に、その手法は「過去のモノ」にしなければ、遺憾!
一郎くん に鈴を付けられない、永田町の住人 の不甲斐無さ!! も、現実問題としては有るが、それは今後に託される!蓮
それもさることながら、君達の世代には、まだ残っていた「立身出世」観では、頂点に登り詰めたから、それを手放したくない思いは判らないでも無いが、それが、未だに?日本人のココロの隅にある、所謂「士農工商」という尺度で推し量っても、本来「士」が心得なければ如何!! 「身の処し方」は、
『 潔(いさぎよ)し 』である
そして、自ら!それを決断するのが、由(よ)しとされている
いま!日本に求められているのは、その心構えを誰かが見せること
「歴史」に残る為?には、いまこそ、自らに「断」をせよ!!
誰も、実際に「腹を切れ!」とは言っていないのだから...
「生き恥を晒す」のは、御免!! という見方もあるが、
それが、いま!の民主主義の在り方なのだから、そこから逃げては遺憾!
やなせたかし 作
ちばてつや 作